ソラユメ・中編



 家の中に一室しかない畳の部屋。その部屋にたたずんでいる祖母の胸に、包丁が突き刺さる。祖母は悲鳴も上げずに、膝から崩れ落ちた。
 じわっと祖母の服に鮮やかな赤が広がっていく。同時に祖母の顔から血の気が引いて、青白くなっていく。
 祖母を刺した誰かは、携帯でメールを送るかのごとく、消しゴムで字を消すかのごとく、無造作に、ごく当たり前の顔をして、胸部から包丁を引き抜いた。
 祖母の足元に散らばる三十枚の一万円札を赤く染める。染色のごとく、侵蝕のごとく、感染のごとく。じわりじわり。
 私はそれを全て見ていた。祖母を刺した人物をのぞいて。

 女の先輩から菓子折りをもらった。甘い甘いチョコレート。それをもらったとき、奇妙に、不気味に、禍々しく先輩は笑った。だから私はそれを食べなかった。
 そして―――最初に父が菓子を口にして、胸を押さえて倒れた。同じくそれを口にしていた母と姉も。『やっぱり、毒が入っていたのよ!』応える者は誰もいない。
 重たくて甘ったるいチョコレートの匂いが、私を包む。息苦しくて、溶けてしまいそう。どろりどろり。
 思わず、菓子折りの包装紙をつかむと、仕込んであったカッターの刃が指先をさいた。
 祖母の胸から流れ出た赤と同じ赤色だった。

 兄は生きていた。
 何事もなく。全ての災厄を避けて。私と兄の二人だけ。
 ある日、学校から帰ってくると、兄の存在を示すものは全て消えていた。
 まるで初めから兄などいなかったのごとく、家族なんていなかったのごとく、私は一人になった。一人、浮いていた。ぷかりぷかり。
 兄は二度と帰ってこなかった。

 そして『私』は―――
 死ななかった。






「…………っ……夢、か」

 安堵の息をはくと、早く打っている心臓を落ち着かせるために、深呼吸を繰り返す。しばらくの間、私のすぅー、はぁーというリズム良い呼吸が部屋の中を満たしていた。
 起き上がり、ベッドの上に座り込む。落ち着いてみれば、何の変哲もない、実家の自分の部屋だ。自分の家と同じくシンプルなものしかない、ごく普通の部屋。血を喚起させるような鮮やかな色合いはない。
 嫌な夢なんてレベルじゃない。祖母の胸から流れ出る血の赤があまりのも鮮やかで、リアルには思えなかったけれど、自分の指先で形成された赤い玉がリアルにさせた。
 胃液が逆流を起こしかけ、食道が火に焙られたかのごとく、ひりひり痛む。
 夢が夢のように思えない。あれはまぎれもなくリアルであると、自分の中の何かが言っている。
 よく思い起こしてみれば、自分が小学五年生以前の記憶がかすんでいる。普通の人が一般的にどれほど子供の頃のことを覚えているかなど知らないが、何か一つぐらい明確に覚えている出来事があってもいいはずだ。
 入学式、遠足、プール開き、きもだめし、運動会、雪合戦、日常のささいなこと。そんなこと全てが白紙。
 空白。
 無。
 そもそも、母親は?
 いつからいない?
 死んだ?
 離婚した?
 何が

「起きたかしら?」

柚希さんの声が階下から聞こえた。時計を見れば、もう九時過ぎ。カーテンを閉め忘れた出窓から日光がさんさんと照っている。今日が日曜日でよかったと胸をなでおろしたのは言うまでもない。

「……あ、起きてます」

「朝ごはんができたから、おりてきてね」

「はい」

 手早くパジャマから洋服に着替えると、階下に向かう。
 いい匂いが漂ってくる。テーブルの上には、トースターで焼いたパン、スクランブルエッグ、ウィンナー、綺麗に切り分けられたトマト、レタス。コーンポタージュにヨーグルト。色鮮やかな食卓に嘔吐感もわすれて食欲がそそられる。

「あれ、おはよう。昨日はどうしたわけ?」

 すでに食卓について、新聞を読んでいる男性―――私の父。日曜日の朝であるのに、ばっちり着替えているのはその性格からか。

「ああ、おはよう。昨日は残業でな」

 父はそういって、新聞から目を離し、こちらを見る。

 顔が
 似ている?
 誰と?
 ―――『夢』
 ああ、そうか
 『兄』だ
 笑い声が聞こえる
 誰の?
 女の人
 柚希さん
 柚希さんの顔
 『女の先輩』だ
 同じ
 ならば
 『父』『母』『姉』を殺したのは
 『女の先輩』
 柚希さんが
 『家族』を
 殺した?
 『私』と
 『兄』をも
 殺そうとした
 柚希さんが
 





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