ソラユメ・前編
祖母は誰かに殺された。
その隣には三十万円が落ちていた。
父と母と姉は先輩からもらった菓子を食べて死んだ。
菓子の包装紙にカッターが仕込んであった。
兄は生きていた。
けれど、兄は行方不明になった。
そして『私』は―――
死ななかった。
「夢か」
暗闇の中、ベッドの上で体を起こす。目覚めきっていない体がきしみ、頭痛が二度寝を要求してくるが、それを無視する。二度目をしたいのはやまやまだが、そんな時間的余裕はそもそもない。
おかしな夢を見た。夢の中の自分は髪が長くて、幼かった。だいたい小学二、三年生。
家族が兄をのぞいて、みんな死んでいく夢。怖いとは思わない。奇妙とは思う。なぜなら、自分には祖母も母も姉も兄もいない。父と私の二人だけの気軽な生活。それも二年前に終わった。
大学受験が終わった二月の下旬。父は再婚した。再婚相手は会社の同僚という定番。その辺の水商売のお姉さんだとか、自分と同い年もしくはそれ以下とかではなくて本当に安心した。
その女性はまさに女の子という形容が似合っていた。料理、手芸、掃除、洗濯のプロといっても過言ではない。そんなすばらしい人が何故売れ残っていたのか単刀直入に聞くと、「あなたのお父さんに会うためよ」とのろけられた。やける。父に。
のそりとベッドの上から降りて、急いで支度をする。
家の中には自分一人だ。新婚夫婦の邪魔をするほど、もう子供じゃない。学生ではあるが、二十歳を越えたいい大人だ。馬に蹴られて死ぬのはごめんこうむる。
高校時代のバイトで稼いだお金と、父からせしめた軍資金をもとに気ままな一人暮らしライフ。
しかし、柚希さん―――父の再婚相手の要望もあって、月に一回は必ず実家に帰って、一泊するのが決まりごとになっている。
「ギリギリ間に合うかな」
鞄を肩にかけて玄関から飛び出す。暑い夏になることを予兆させるような日差しが、世界を照らしていた。
そのまま、私は夢のことを忘れて過ごした。そこだけぽっかりと穴があいたかのように。
昼休みに形態を見ると、柚希さんから『おいしいものを作って待ってるわね』というメールが来ていた。今日は月に一度、実家に帰る日だ。
柚希さんいわく、父はいつも「おいしい」、「最高においしい」としか言わないらしい。要するに私はテイスティング役というわけだ。実際、柚希さんの料理はすごくおいしい。お店も出せる味だ。こんなにおいしいものをマズイと言う人は私が成敗してやる(むしろ父が先にやりそうだ)。
父もたまには違う言い方をすればいいのに、と呟くと柚希さんは「橘(父の名)さんらしいわ」と微笑むのである。のろけだ、のろけ。いやはや、うらやむほどのラブラブぶりである。
今日の授業が全て終わって、実家に向かう。大学から電車とバスを乗り継いで約一時間半。着いた時にはもう夕方だった。
「おかえり」
柚希さんは笑顔で出迎えてくれた。今日はピンクのフリルのついたエプロンを着用。
「ただいま」
家の中に入れば、シンプルでありながらかわいらしい小物があちらこちらにある。家の中に無頓着な父である。柚希さんがいてくれて、ちょうど良いバランスが取れているようだ。
父が帰ってくるまで夕食はお預け。父を待つ間、柚希さんは紅茶を入れて、お手製のクッキーを出してくれる。紅茶と菓子に舌つづみを打ちながら、会っていなかった一ヶ月の出来事を語り合う。柚希さんの話は大半がのろけ。なんともほほえましい。
「夢を見なさい」
突然、柚希さんがそういった。様子が変だ。
「……夢?」
「そう、夢。大切な人が、みんな死んでいく夢よ」
「どうして」
知っているの? と続けようとしたら、目の前が真っ暗になった。
祖母は誰かに包丁で胸を刺された。
その隣には血に濡れた三十万円が落ちていた。
私はそれを見ていた。
最初に父が、次に母と姉が先輩からもらった菓子を食べて死んだ。
菓子の包装紙にカッターが仕込んであった。
私はそれでケガをした。
兄は生きていた。
けれど、兄は行方不明になって二度と戻ってこなかった。
私は一人になった。
そして『私』は―――
死ななかった。
目覚めると、最後に時計を見てから十分ほどしか経っていない。
今朝の夢よりずっと鮮明だった。特に『祖母』の胸から飛び散る血の一滴、一滴が妙にリアルで、まがまがしくもあった。
「疲れているの? まだ眠い?」
そう利いてくる柚希さんはいつも通りの柚希さんだ。変なところは何もない。眠ってしまうまでのおかしな柚希さんはいなくなっていた。
その日、父は帰ってこなかった。
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