世界がぐるぐると酩酊し始める。

 偽物の世界と本物の世界が混ざりあってマーブル模様を描き出す。

 二つの世界の接点から偽物が消え本物が生まれ。

 最後に残ったのは手のひらに乗るぐらいの『真実』。

 それは―――





 ソラユメ・後編







 私はゆっくりとまぶたを押し上げる。ゆっくりゆっくりと。三ヶ月ほど使われていなかった筋肉だ。急激に使ったら疲れてしまう。
 目を開けて最初に飛込んできたのは白い天井。次に窓からの太陽の光だった。
 夢の向こうに押しやっていた真実をすべて思い出した。いや、逃げるのをやめて見据えたと言った方が正しい。
 体を横にして、腕の力でベッドの上に起き上がろうとした。しかし、使っていなかった筋肉は痩せほそり、たったそれだけの動きさえ出来ない。
 起き上がることを諦めて、素直にナースコールのボタンを押す。これで数分のうちに医者か看護士がやってくるだろう。
 横に向いた体を再び仰向けに戻そうとした。しかし、四苦八苦している間に看護婦がやってきてしまった。

「葵ちゃん、起きたのね?」

 私は看護婦の言葉にゆっくりと頷いた。看護婦は頷き返して、

「先生をすぐ呼んでくるわね」

 そう言うとすぐに病室から出ていった。
 横向きにしてしまった体を仰向けに戻すのは面倒になり、そのままでいることにした。
 窓を背に横向きになってしまったので、特に注視するものもなく暇だ。なにともなしに長い自分の髪に手をやる。
 身体的年齢は十才。これが本来の私だ。
 父子家庭で父親は再婚、自分は気ままな独り暮らしライフなんてもの、どこにも存在しない。
 祖母は刺殺、両親と姉は毒殺、生き残りの兄と妹のうち兄は行方不明。犯人は依然として捕まっておらず、兄の行方不明を知った少女は意識不明―――それが世間的な事実。
 私と犯人だけが知る『真実』は―――
 そこまで考えを巡らせたところで、目の前の扉がスライドした。

「葛城葵ちゃんだね。まだ、起きたばかりだから無理に話そうとしなくていいよ」

 医者はベッドに近寄り、葵の目線に合わせて膝をついた。私は医者の言葉にゆっくりと首肯する。

「葵ちゃんはこの三ヶ月、ごはんを食べてなくて点滴で栄養をとってたんだ。それと、体を動かしていなかったから筋肉が衰えちゃたんだ。だからこれからそれを取り戻すためのリハビリをするんだよ。わかった?」

「……あ、あには」

 かすれた声でそれだけは聞こうと声を絞り出した。医者は一瞬無表情になってから笑顔になった。

「大丈夫だよ。きっと見つかるよ。だからお兄さんが見つかったときのためにも今はしゃべらないで、元気にならなくっちゃね」

 医者の言葉に肯定するように首を縦に振ると、医者は満足したのか軽く頷いて看護士と共に病室をでていった。
 目が覚めて、こちらの世界に戻ってきてからわかったことの中で唯一確証が持てたことがある。それは、兄は既に殺されたということだ。
 自分の紛い物の夢が崩壊したことも、一つの理由ではあるが、医者の一瞬の表情の変化で、はっきりとわかった。あの瞬間、兄は殺された。
 祖母を刺殺し、両親と姉を毒殺したのと同じ犯人―――柚希さんに。
 証拠はない。私が"見た"、ただそれだけだ。それでは警察は動いてくれないだろう。たかだか、十才の子供の証言など。
 できることなど、何もない。
 無力な子供に過ぎない。
 ならば、今すべきことは休息をとることだ。
 私は短く息を吐くと、そのまま穏やかな眠気に身を委ねた。






「お世話になりました」

 私は担当医と看護士に頭を下げた。ゆっくりと下げた頭を上げると、二人は笑顔でこちらを見ていた。

「元気になってよかったわ。迎えは来てくれるのよね?」

「はい、叔父が」

 医師はその答えに頷いた。

「じゃ、仕事があるので私私たちは行くよ。元気でね」

「はい」

 玄関でそう挨拶しながら、叔父が車で迎えに来るのを待った。大きな病院の玄関だけあって、人の出入りはひっきりなしにある。
 話声のざわめきや子供の鳴き声が病院の中から響いてくるのを聞いていると、心が重くなるような心地がした。自分にはもう、心配してくれる人がいないことの自覚を促しているようで。
 思わず、ボストンバッグの紐を強く握り締めた。

「まだ、一人じゃない……」

 その時、慣れた気配が横をかすめたような気がした。慌てて振り向いた。しかし、見慣れた病院の景色が広がるだけで、感じとった気配を持つ人などいない。

「ようやく退院か、葛城葵」

 その声に病院の中から外に視線を移した。偽物の世界で聞き慣れた声、こちらの世界ではまだ子供で、私の家族を殺した犯人―――

「柚希っっ!!」

 私と三才差、つまり十三才である柚希がそこに立っていた。

「今日退院って聞いたから、迎えに来たのよ」

 偽りの世界の柚希さんと同じように言って、手に持つ花束を差し出した。私はそれをボストンバッグでおもいっきりひっぱたいた。花束は花びらを散らしながら柚希の手を離れて、アスファルトを転がった。
 からん、と音を立てて花束の中からカッターの刃が飛び出す。

「残念。白い花が血の色に染まるのが好きなんだが」

 無表情のままさも残念がっているかのように柚希は呟いた。
 そんな柚希の動作に一気に頭に血が上った。

「柚希、貴様……何のつもりだ?」

 憎悪と悪意を視線に込めて柚希をにらみつける。

「六花の魔女、と覚えていてくれ。"柚希"などくだらない言葉遊びに過ぎないのでね」

 歪んだ笑みが次第に大きくなり、肩をすくめ、くすくすと吹き出す。

「質問に答えろっ!」

 その声と共に衝撃波のようなものが発せられて、柚希―――いや、六花の魔女を切り裂こうとした。
 六花の魔女は正面に手をかざすと、六花の魔女を切り裂くはずだった衝撃波がかき消えた。
 衝撃波を発した自分の方はいったい何が起きたのか分からずに、ぽかんとしていた。

「中途半端に力だけ目覚めたのか……しかも、(陽のモノ)とはハズレか。それはそれでよしとするか」

 自嘲のように呟く六花の魔女に、苛立ちを隠すことなどできるはずもなく、ただ悔しげにそれを見ていることしかできない。

「意味の分からないことを……」

「そのうち、全てが分かる日が来る。今まで私がしたのは全てその前準備。いずれまた会う日は来る」

 不気味な笑みを浮かべたまま六花の魔女は風の中に、幻のように消えた。

「逃げる気か!」

 応える者のいない言及は、虚しく空気に溶けるばかり。それで何かが変わることなどなく、平常のままただあった。
 かなり騒いでいたはずなのに、見舞い客も医者も看護士も一切こちらに注意を向けなかった。何もなかったかのように普段のままだ。

「これがあいつが言っていた力とやらか……? なんでもいい。恨みを晴らせるならば」

 葵は暗い色を瞳に宿し、憎悪と悪意を呑み込んだ。






The end.






 BACK