空の花束
「お前、一体何だヨ?」
突然、目の前に転がり出てきたのは、汚い布切れに包まれた泥だらけ煤だらけ埃まみれの人間だった。目は閉じられている。
行き倒れの死体かなんかかと思ってぼんやりとそれを見やる。それには餓死によく見られる症状がうかがえない。極端に痩せすぎているでも、腹部が突出するでもなく、ごく普通の人間の子供とあい変わりない。
俺は溜め息をついてそこを去ろうとした。厄介な揉め事に世話にならないようにするコツは、危険なものに関わらないことに限る。だが、それはできなかった。
「動くな」
地面を転がっていたはずの死体は、今俺の背後にいた。その上、俺の首もとに果物ナイフみたいなものがつきつけられているのを感じる。
ここは薄暗い細路地。見える限り、人なんて誰もいない。それどころか、時折足元をネズミが走っていくくらいだ。
知人に会うのを避けるために裏道を選んだのは失策だったかも知れない。
「おい、お前。聞いてるか」
「はいはい、聞いてますヨ」
適当に答えると、つきつけられているナイフみたいなものが、さらに強くつきつけられた。同時に軽い痛みを感じる。どうやら、少し刺さったらしい。
「持ってるものを全部出せ」
追剥みたいなものらしい。厄介事に巻き込まれるのがいやだと思って裏道を通れば、今度は別の厄介事が待ち受けているなんて。運が悪いにもほどがある。
俺は持っているものを全部その辺に放り出した。
「これで全部」
最後に懐剣を放り投げる。綺麗な弧を描いて、薄暗い路地に落ちた。やや遅れてからんと音が響いた。ネズミにでも刺さったのだろうか。
「嘘を言うな。まだあるだろ?紙みたいに薄いものが」
「金カ?それなら全部出したゼ」
「出せ」
事を構えるしかなくなったことに舌打ちするしかなかった。厄介事は面倒だと逃げていたツケでも回ってきたのか。
溜め息をつきながら右手でナイフの刃を握った。当然、刃は掌に刺さり、血を流す。背後でかすすかに息を呑む音がした。左手で子供の腕を握るとおもいっきり背負い投げた。
突発的な出来事だったはずだ。けれどその子供は難無く着地してこちらをにらみつけてきた。構っている余裕はない。
俺は意図的に投げた物品を順序よく拾い上げ、そのまま逃走した。追ってくる気配はしなかった。
それがあいつとの出会いだった。
太陽が地平線の彼方へ消えようという時分。あたたかな橙色の光が天幕を染め上げていた。
現在レジスタンス『Cのアリア』と『RD』は共に荒野に天幕をはっている。それは全て『RD』の隊長ダニエルの責任だ。コスプレなんかをしなければならなくなったのも。
それでも『Cのアリア』に正式に入隊できたから、よしとしよう……んなわけあるかー!
「おイ、ルイ」
ティチェ隊長の天幕から出てきたら、その悪の根元であるダニエルが声をかけてきた。ちなみに、ダニエルも俺もメイド服を着たままである。
こんな格好のまま、問答不要で腕を引かれていった。メイド服を着た野郎がお手々つないでらんららん♪状態だ。想像しただけでも気持悪い。
「入隊の儀、終わったんだロ?」
ダニエルは俺の食べかけの林檎を指してそう言った。ダニエルもこの不思議な儀式のことを知っているらしい。
「そうだけど……?」
そんなことを聞かれながら連れてこられたのは、天幕の張られた場所から結構離れた人気のない場所だ。周囲に木々や廃屋も存在せず、誰かに聞耳をたてられる心配もない。
何か秘密裏に話したい場合、とてもぴったりだ。ということは、ダニエルは誰にも知られずに俺に話したいことがあるということだろうか。
「で、何か話したいことがあるならさっさと話せよ」
「ばれたカ」
ダニエルは恥ずかしそうに頭をかいて、ぽつりぽつりと語り始めた。
「なんかいろいろ聞いてるかも知れないけどナ、ティチェとは全く血の繋がりはねぇんだヨ」
追剥まがいな目にあってからは、たとえ厄介事から逃げたくとも裏通りを通ることはなくなった。しかし、あの追剥と意外なところで再会するはめになるとは思っても見なかったものだ。
「おかえりー、だにえるぅv」
「ただいま、母さん」
古びた家の中から白いエプロンをした女性が出てきた。俺の母親だ。母
さんは妙にテンションが高い。こういうときは何か企んでいるときと相場は決まっていた。
「―で、今度は何を拾ってきたんダ? 犬カ? 猫カ?」
「はぅあ! どっちも違うけどなんかばれてるし」
母さんには拾いグセがある。拾ってくださいとかかれた段ボールに出会えば、必ずその動物を拾ってきた。
犬や猫ならいい。ワニとか蛇とかを拾ってきたときはさすがに驚いた。ちょっと目を離すとこれだからだめだ。
「えっとねぇ、この子ぉ!」
そう言いながら奥の部屋から連れてこられた生物は、……まぎれもない人間だった。
「誘拐とかじゃないよな?」
「失敬な!私の友人の子供ですぅ」
そう言われて、まじまじとその子供を見る。痩せすぎても太りすぎてもいない体に、ぼろ切れを纏っている子供。
「お前、この前の追剥!」
「……この前はすみません」
その子供の口から響いたのは謝罪の言葉だった。そしてその声は高い。女の子のようだ。今まで全く気がつかなかった。
「この前は大切なものを盗まれて、それを盗んだ人と貴方がにていたから……本当にごめんなさい」
「いや、いいし」
「今日からウチで暮らすことになったから仲良くしなさいよぅ?」
そんな感じでティチェと出会った。
「そっくりだから実の姉弟だとばかり」
「あーよく言われるヨ。マサムネはいまだにそう思っているらしいシ」
ダニエルは橙色に染まり始めた空を見上げた。東の空の端はもう暗くなっている。
「ところで最後まで隠そうとしたものってなんだ?」
「……写真だヨ。家族三人で虹の空を背景にした」
そのままダニエルは黙り込む。俺は再びダニエルが話し始めるのを待った。
再びダニエルが話し出したのは数分のあとだった。
「あいつを裏切らないでやってくれ。あいつにとって、家族は宝物みたいなものだから」
「わかってるよ、そんぐらいのこと。でも」
俺はそこで言葉を切ってうつ向いた。肩が、体が震える。それはなぜって―――
「その格好で言われてもかっこよくないし」
メイド服のままで真面目な顔をしているダニエルが奇妙でならなくて、もう爆笑せずにはいられなかった。
その後、ダニエルに殴られたことは言うまでもなかった。