第五話・放浪 −Wanderer In The World Appeal For Salvation.−
王女という自分がいた。
彼の恋人という自分がいた。
クロノスを憎む自分がいた。
ソフィアと共にいる自分がいた。
全て、捨てた。
捨てるまで、誰かがいなければ自分というものはすごく曖昧すぎることを知らなかった。
再び放浪の日々になった。さぁ、これからどうしよう。行き倒れてみるか?人を殺してみるか?それとも、死んでみるか?
「ホント、どうしようか」
とりあえず帝都を離れようと、帝都を出たところでぼんやりと座り込む。門を行き来する人々にいぶかしげな視線を投げ掛けられるが、余り気にしない。
行き倒れたらきっとソフィアのことを思い出しそうだ。捨てるはずのあの場所に帰りたくなってしまう。それはできない。
人を殺してみるか。殺したいほど憎んでいる人なんていない。クロノスに対するその感情は捨ててきた過去のものだ。
死ぬことはできない。クロノスとの約束があるからではない。死ぬことが怖い。昔、あれだけの啖呵を切るようなことをしておいて、笑える。
私が生きてきた意味は一体なんだったのか。わからなくなった。
「ヴィレム……」
死んだ彼の名前をそっとつぶやいて、彼の墓に行こうと決めた。心の中にいる彼はすっかり風化していて、涙は出なくなっていたけれど、そこへ行けば何か変わるかもしれない、変えられるかもしれないと思えた。
訪れたのはグラエキアの王都、ブアレス。正確には元王都だ。戦争に負けたグラエキアは、王族は全員殺され、オヴィディウス帝国の支配下にある。
腐敗しきった貴族たちはその大半が暴動を起こした国民の手で"粛清"された。"粛清"されなかった貴族はその地位を剥奪され、財産は没収された。
ヴィレムの家、オラニエ公爵家は"粛清"されなかったが、他の貴族と同様に地位を剥奪され、財産は没収された。現在は小麦の生産で有名なケレスで農業に携わっていると、風の噂で聞いた。
オラニエ公爵家は治癒院、孤児院の設立、民への食糧配給などの慈善事業に協力してくれたし、革命の折にも助力を約束してくれた。オラニエ公爵も公爵夫人もいい人たちだった。そんな人たちが殺されなくて本当によかったと思う。
敗戦になって、グラエキアで最も繁栄していて輝く都とも呼ばれたブアレスは死都となり、オヴィディウス帝国による統治が進んでいる現在も混沌と混乱が繁茂している。かつての繁栄など影も形もない。破壊された王宮と貧民街だけが広がる。
ヴィレムの墓はおそらく王族墓地か英雄の碑にあるだろう。
セシルは廃墟当然となった街中を進む。その足取りは軽くない。
「ひどいな……」
王族墓地は新旧問わず、ことごとく破壊されていた。破壊したのは帝国の兵しか、ただの墓荒しか、それともグラエキアの民衆か。いずれにせよ、自嘲せずにはいられない。王族が死後もしがみつこうとしていた地位は全て崩れ去ってしまったのだから。
一ヶ所、ひらけた場所に出た。かつて王宮の庭園の一部だったそこは、おびただしいほどの土の山―――兵士の墓が一面に広がる。王族墓地と比較して破壊されている様子はない。
土の山に通例その人の遺品を突き立てたりするのだが、大半は何もなかった。遺品がないほどむごい死に方をしたのか、戦争に再利用されたのだろう。
その中にはひときわ目立つ大剣が目に入る。二メートルを優に越し、幅広で装飾のないその剣は、実用性を重視したものだった。
時代遅れといわれながらもその剣を振るい、誰よりも手柄を立てた彼の姿。それがはっきりと瞼の裏に浮かぶ。
セシルは覚悟を決めたように墓の前に立った。
「ただいま、ヴィレム。……ごめん、なさい……」
それ以上、言葉が続かなかった。代わりに出たものは地面を濡らした。やっと、自分の気持ちに気がついた。
やっぱり、クロノスを愛してなどいない。クロノスを―――
「憎んでいる」
声に出して、より確固たるものにして、より強固なものにして、自分の手でヴィレムの剣を抜く。重いと思っていたそれは思っていたよりも軽くて、手に良くなじんだ。ずっと昔から持っていた得物のようだ。
軽く振ってみる。空気を切る音がするが、それだけ。
「ヴィレムが何を望んでいるか、あなたが死んだ今、私には全く分からない。どんなに時が経っても、きっと分からない。けれど、私は復讐する。あなたがそれを望んでいなくても私は―――」
大きく息を吸い込んで、手に持つ大剣を大地に突き刺す。
「私はオヴィディウス帝国とクロノスを憎んでいる。どんなことをしても殺す。どんなに血を浴びようと殺す。ヤツを」
地面から大剣を引き抜くとその場を去った。
そして、セシルは二度と故国の地を踏むことはなかった。
片手には大剣をかかげ
片手には拳銃をたずさえ
赤き蝶をまきちらす
それでも彼女は狂っていない
それでも彼女は壊れていない
それでも彼女は死んでいない
望みはかの帝国の崩壊
望みはかの革命王の死
それさえあれば
これ以上は望まない
地獄に落ちようと
構わない
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