第四話・離去りきょ −A Person Who Give Love Isn't Loved. It's Myself.−



 もっと早くにこの国からいなくなるべきで、ずるずるといすわってはいけなかった。なのに平和な日々に逃げ込んで、今までずっと現実から目をそらしていた。
 今度は間違えない。二度と、後悔はしない。

「これで大丈夫だな」

 荷物はまとめた。私物でいらないものも処分した。部屋は片付けたし、今までの医術研究はソフィアがすべて引き継げるように手続きした。辞表も置いてきた。すべきことは全てやったと思う。
 『国立医術研究センター』。ソフィアが行き倒れていた自分をこの場所に連れてきてくれた時から約五年。ここで暮らしてきた。
 革命を志した王女時代の稚拙な医術知識を元に、ソフィアから医術を学んで、医師免許を取った。新しい医術発見の功績で特例で学会医員になって、『国立医術研究センター』で働くことを認められた。
 そして研究に打ち込む日々。今日と同じような明日。それがずっと続くと思ってきた。
 でも、やっぱり無理みたいだった。ここにいたら、いずれソフィアを嫌って憎んでしまうかもしれない。
 それならば、私がここを去ればいい。ここにいて誰かを傷つけてしまう前に、自分が傷つく前に。何よりも大切な人を二度と失わないように。
 何も起きてないのだ。まだ間に合う。
 だから―――

「さようなら」

 セシルは今までにない笑顔を浮かべて部屋を出た。
 誰もいない部屋にパタン、と扉が閉まる音が響いた。







「セシルっ!!」

 バン!、と激しい音を立ててセシルの部屋に駆け込んだ。あるのは質素なパイプベッドと作り付けの机だけ。不自然すぎるぐらいきれいに片付けられていた。
 確かに昨日までにはあったもの。それが全て消えていた。セシル自身も。
 ソフィアは封筒を握り締めた。それにはただ一単語―――辞表、と書いてある。
 外での用事が終わった後、いつものように深夜まで研究室にこもっているのがあだとなった。宿舎のソフィアの部屋でこの封筒を見つけたときにはもう太陽は真上まで昇っていた。

「バカね。何で勝手にいなくなるのよ。私に少しぐらい話してくれてもよかったじゃない」

 膝からぺたりとその場に崩れ落ちる。
 いつここからいなくなったのかはわからない。探すあてもないのに今から追いかけても、おそらく追いつけないだろう。あまりに自分は無力だ。
 でも、たとえ力になれなくても

「バカ……友達でしょ」

 一人うつむいてつぶやく背中をそっと抱きしめる男がいた。黒髪で知的な感じがする丸メガネからは、萌黄色の瞳がのぞいている。

「アーノルド……」

「大丈夫だ。セシルなら、きっと大丈夫だ。そんなに弱い子じゃないだろう」

「……そうね」

 過去の苦しいことなんて何一つ話してくれなかった。死にたいと思っていた理由も話してくれなかった。

「セシルなら……きっと大丈夫ね。強い子、だから」

 それに、信じてる。

「いってらっしゃい、セシル」

 ソフィアとアーノルドは笑顔でそう言った。







 この日を境に、医療技術の権威セシル=ローズ、またの名をグラエキア第三王女リリアント・ベベル・グラエキアは、オヴィディウス帝国の歴史書から姿を消す。
 だが、たった五年しか学んでいないからこそ生まれた医療技術の数々は、そのあと起きるオヴィディウス帝国の戦争でその力を発揮する。それだけでなく、未知の伝染病への対処でもセシル=ローズのマニュアルと医療技術の応用が利用されることとなる。
 医療関係者のみならず、多くの有識者に賞賛され、尊敬され、遠い後世まで伝えられることとなる。
 彼女についてあるのは良い面だけではない。
 セシル=ローズが再びオヴィディウス帝国の歴史書に現れるのは、一年後のことである。
 隣国―――アレスティア王国の英雄として。
 彼女は戦場で死神ワルキューレ"と呼ばれる。







 赤き蝶は籠をすり抜ける。

 封印を解く。

 破壊から逃れる。

 そうして、再び舞うのだ。

 憎しみと悲しみと死を引き寄せて、

 赤い蝶はその身から鱗粉を飛ばし、

 全てを赤く染めて

 増えていく。

 女神アテナは不吉に微笑む。

 運命の輪が

 まわりだす。















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