第三話・恋慕 −What Is Living? Nobody Knows Answer.−
七年前。王女の身分を捨てた私は帝国内を放浪した。放浪の旅なんて格好のいいものとは言えない。王女時代の宝飾品を売って生活費を作り、その日暮らしの日々。
そうして私が出来なかったことを成し遂げた、あの男の痕跡を眺め歩いた。『血染めの地獄』の凄惨な光景はなく、人々の笑顔が目立った。
それを見るたびにあの男を思い出す。忘れたいのに忘れられない。嫌なことほど鮮明に覚えている。逆に忘れたくないことほど忘れ、大切なことほどぼやけて曖昧になっていく。
大切な恋人。何よりも失いたくないと思っていた彼の顔はもう浮かんでこない。たった七年前のことなのに、ついこの前のことなのに。もう忘れ、霞み、消えていこうとしている。最低だ。
こんな僻地で、かつてはアレスティア王国に対抗できるほど強大であったグラエキアの王女が餓死。心から笑えた。なんとなく、もう死んでもいいんだなと思えた。
「ちょっと大丈夫!?」
白銀の髪の女性が、倒れ伏していた私を抱き起こす。
「外傷はなす……発熱もなし。脈拍は……弱いけどちゃんとあるわね。あと呼吸も弱い、と」
よっこらせ、と声を出しながら私を肩に担ぎ上げ、どこかに行こうと歩きはじめる。
「おろしてよ……」
「断るわ。私は医師よ。患者を放っておくなんてできないっ!」
彼女の強い声に私は何も言えなかった。それがソフィアとの出会いだった。
同年齢とは思えないほど、ソフィアは大人だった。彼女の思想、行動、そういった全てを尊敬した。そして、ソフィアへの恩返しを自分の生きる意味にしようと、生きてきた。
「「ただいま〜」」
「お帰りなさい、ソフィア、セシル」
帰ってくれば必ず声をかけてくれる研究員。私の今の帰る場所は帝国の帝都にある『国立医術研究センター』。たとえ本当の意味での帰る場所を失っていたとしても、帰る場所があるのはいいことだ。
「今日はこれからどうするのかしら?」
「有給使って日用品の買い物に行くつもり。酒抜かないとどうしようもないし……って、酒飲んでたあんたは……」
「私は別のことで外出の用事があるから問題ないわ♪」
あのね……と呟きながら額を押さえる。むしろ問題は大ありだ。
「まぁ、いいか。またあとでね」
セシルはソフィアにそう告げると、同センター内に立つ宿舎の自室に向かう。いくらなんでも昨日と同じ服装の上、ぼさぼさな格好で外出するわけにはいかない。
手早くシャワーを浴びて小奇麗な格好に着替えると、カバンを片手にセンターを出る。
気分転換にとゆっくり歩く。どうせ行くのはいつも買いに行くお店だ。急がなくても店は逃げないし、上司でもあるソフィアに有給を使うことも言った。酒のせいで記憶が曖昧にならない限りは大丈夫だ。
「ありがとうございました〜」
店主がそう言うのを背に店を出る。
「……さてと、必要なものも買ったし、コーヒーでも飲むかな」
それとも店をのぞこうかな、と呟きながら街中をぶらぶらと歩きはじめる。
「仕事さぼっていいの? 探している人とかもいるんじゃないかしら?」
唐突に耳に入ってきた声は聞き慣れた声。辺りを見回すと、雑踏の隙間からカフェテラスにいるソフィアが見えた。ただし一人ではない。
肩にかかるほどの長さの黒髪。
。
「大丈夫だ。自分の国の中を見ることも大事な仕事だからな」
強い決意に満ちた黒い瞳。
「まったくそればっかりね、クロイスは」
体が凍った気がした。足が地面に縫い付けられたようで動かなくなった。むかむかしてどす黒いものが心の底から出てきた気がした。
クロノスとソフィアが知り合いだったのはそれほど問題はない。それよりもはっきりと分かったことがある。
クロノスの想い人は、ソフィアだ。
楽しそうで幸せそうなあんな笑顔を自分の前で見せたことはなかった。偽りの夫婦生活の中で、仏頂面か悲しげな顔しか見たことはない。
体が震えた。頭が痛くなった。
二人が楽しそうにしている場所に留まることは出来なかった。脇目も振らず、通行人にぶつかるのも気にしないで、その場から逃げ出した。
「ウソだ……」
ばたん、と後ろ手で宿舎の自室の扉を閉めて、荒い息と共に吐き出す。クロノスの想い人がソフィアであったことに驚いているわけではない。
驚いているのは自分の本当の気持ち。
横恋慕、嫉妬。
そんなものをソフィアに抱いて。
恋慕、恋心、好き。
そんなものをクロノスに抱いて。
私は―――……
「ウソだウソだ」
頭ではクロノスを否定しながら、心ではクロノスを求めている。
何をしているんだろう、私は。
「愛、だと?」
涙が、こぼれた。
「愛、だと?」
赤い蝶
古の蝶とは違う赤い蝶が舞う
その蝶を籠に閉じ込めて
封印して
破壊して
もう二度と生まれないで
お願いだから
もう―――
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