第一話・酔眠 −The Chilly Dungeon And Dim Memory.−
こつこつこつ……と硬く単調な音。訓練された兵士の足音がむきだしのコンクリートで作られた世界の中に響く。変化のない退屈な音は、その場にいる私をいらだたせた。
脳にへばりついた鈍痛がなおさらいらだちを増長させる。
私―――セシル=ローズは牢屋にいた。それもよりによってオヴィディウス帝国の、だ。
現在、「全世界」と呼ばれているこの大陸は大きく分けて三つの勢力に分かれている。
一つは君主制のアレスティア王国。
一つは共和制のイグアルト共和国。
そして最後の一つがここ、オヴィディウス帝国だ。
帝国は強大な軍事力と経済力を持ち合わせている。その上、君臨しているのは力と智で敵をねじ伏せた若き王―――オヴィディウス帝である。
「頭いたぁ……」
どうして私がそんな国の牢屋にいるのかは、私自身もわからない。少なくとも犯罪に関わることは何もしていないハズだが。記憶にある限りでは。
冷たい床から起き上がり考え込むように腕を組む。鈍痛がうごめく脳をフル回転させるが、空っぽすぎて記憶の残滓すら出すつもりはないらしい。
やがて、兵士のそれではない足音が響き始める。その足音のリズムは一定のようで決してそうではなかった。ゆっくりとしているようで、どんな人物か掴めないような足音。
「セシル。もう目覚めたかしら?」
「……うん、まぁ、起きたけど」
なんで?と声の主―――ソフィアに私は尋ねた。むしろ尋ねずにはいられなかった。自分がこんな場所に押し込められた経緯が全く分からないのだから。
「セシルったら酔っ払っていつもの泣き上戸がはじまっちゃったのよ。そしてその深い悲しみのあまり、人を一升瓶で殴り殺しちゃって……」
「"そして"から全部ウソ……思い出した。……あまりに酒グセが酷すぎて店側から引き取るように軍に泣き付かれたんだ」
深く考えるまでもない。牢屋の中には半透明の一升瓶が転がっている。自分の息はやや酒臭いし、体はだるいし、頭は割れそうに痛む。
「つまんないわねー。もう少し話に乗りなさいよー」
ソフィアの様子が少し変だ。足元がおぼつかないわけでも、顔が赤いわけでもない。外面はいつもと変わりないように見えるが、これは明らかに
「ソフィア、昼間から飲んだの!?」
「呑まないとやってらんない日もあるのよ〜♪」
別の意味でも頭痛がしてきそうな気がする。
「……手間かけさせてごめん、ってとりあえず言うけど、酔っ払ってるあんたの世話をする私のほうが手間かけられてるような……」
「別に構わないわよ?」
「私が構うの!」
ため息をついて、手を頭にあてる。
「だっておもしろいものも撮れたし♪」
酔っ払いの戯言を右から左に聞き流して、そうか、そうかと妙に納得した顔をしてみてから、その言葉の事実にはたっと気づく。
聞き捨てならん。
「何を撮ったって? 一体何を撮ったの!?」
つめよって、肩をつかんで、ソフィアの体をグラグラ揺らしたい衝動にかられた。が、私はまだ牢の中。鉄格子を強く握って揺らすことしか出来ない。……もちろん抜けるはずなどない。
「安心して。まだ誰にも見せてないから〜♪」
「これから先も絶対に誰にも見せないで」
「それはどうかしらね〜」
深いため息。頭を抱えたい衝動にかられる。
「まぁ、いいや。終わったものはどうしようもないし。ただし、テープは没収!」
「それはひどいわ」
あはは、と笑い声を上げるソフィア。場所が場所なだけによく響く。そして不似合いだ。こんな場所で囚人は笑い声をあげるはずもないのだから。
だけど、ソフィアは気にしない。たとえ牢を見回る兵士に訝しげな視線を送られても気にしない。図太い神経であるというよりは、ただ自分のあるがままでいたいという信念が強い人だ。
ソフィアの友人として、仕事仲間として、理解者として、彼女を尊敬していた。時に嫉妬をしてしまうぐらい深く、暗く。
「釈放許可は出てるから、もう出てもOKよ」
「OKよ、って鍵開いてないけど」
強く牢屋の扉をガチャガチャと揺らしてソフィアに示してやるが、当のソフィアは気にせずににっこり微笑んでいる。その笑顔は決まって何かをたくらんでいるときにしている表情と似ていた。
「ソフィア……?」
「鍵ぐらい自分で開けられるでしょ☆」
本気で頭を抱えた。何でこんな人を友人に持ってしまったんだろうと思いたくなった。
でも現実逃避しても仕方がないわけで。セシルは本日何度目になるかわからないため息をつきながら、髪からヘアピンを一本引き抜く。それを鍵穴に差し込むと、ガチャっと重々しい音で鍵が開いた。
「シャバに出た気分はいかがですか?」
ソフィアはにっこりしたまま、握りこぶしをマイクのように突き出して言った。
「まだ牢屋ですけど」
「細かいことは気にしない♪ それにしても、とんでもない能力よね。ヘアピン一本で牢屋の鍵を開けちゃうんだから」
「それ言ったら、ソフィアの能力の方がすごいって」
あはは、と笑いながら話をすりかえる。それにソフィアが気づいた様子はない。
「帰りましょ」
「うん、そだね」
笑顔でその場を去る。
大切なのは現在だ。笑い会える友人がいて、毎日の生活が楽しくて、普通の人間として生きられる現在。
だから、過去なんていらない。
今宵舞うのは古の蝶
秘められた赤き蝶。
そして、捨てた記憶。
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