第二話・喪失



 アトラスが目覚めてから数日後。

 アトラスの姿はベッドの上にはなかった。その姿はヒューイの家の裏手にある畑にあった。ヒューイから医療用の植物を取ってくるように言われたのだ。

 ヒューイの家はオヴィディウス帝国の東の果て、イグアルト共和国との境の近く。五キロメートルも行けば、オヴィディウス帝国とアレスティア王国の連合軍とイグアルト共和国との戦争地帯に入る。

 戦争地帯の近く。それは医者であるヒューイの腕が発揮される場所だ。患者である兵士も毎日たくさん訪れる。

 だからこそ、気づくのが遅れた。











 パンッと軽い音がした。

 最初は近くで兵士が小さないざこざでも起こしていると思った。けれど、それは皆無に近かったのだ。

 オヴィディウス帝国とアレスティア王国の進撃は強く、イグアルト共和国を押す一方だ。年々、戦争地帯は縮小している。

 ヒューイに……おじいちゃんに教えてもらったことなのに。

 気づかなかった。


「おじいちゃん!」


「アトラス、来るな!」


 アトラスが扉を開けた目の前。ヒューイは兵士に縛られて床に押さえられていた。ヒューイの口の端からは口内が切れたためか、血が滴り落ちていた。


「動くなよ。動けばどうなるかわかるよな?」


 アトラスは動こうとしていた足を止めた。

 ヒューイの額に銃口を押し付けている兵士が一人。アトラスに銃口を向けている兵士が二人。アトラスの場所から見えるのは三人だけだった。

 三人の兵士が持っているのはオートマティック式のピストル。おそらく軍の支給品。

 そこまで考えて、はたっときづく。どうして私がこんなことを知っているのだろうか。


「もう一度だけ聞く。最近、とある娘を保護したと聞いた。その娘は何者だ?」


 明らかな脅し。そして、アトラスの過去に関係のありそうな男。

 けれど。


「……私の息子の娘だ、息子の妻にそっくりだが、よく笑う子だ」


 ヒューイの最後の言葉は、発砲の音によってアトラスに届かなかった。


「おじいちゃん!」


 ヒューイの頭は力なく床につき、額から血がどくどく流れている。

 どくん。そんな風に心臓が高鳴った気がした。

「国に従わなければこうなるんだよ」


 そう言った兵士たちの声が遠く聞こえる。

 どくん。

 また鳴った。何かがアトラスの体の中で目覚めるように。


「はははは!!」


 全てがゆっくりにしか、感じなかった。

 アトラスは自分にピストルを向けていた兵士の一人に一瞬で駆け寄ると、首に一撃を入れる。

 その兵士は首の折れる音とほぼ同時に悲鳴を上げ、絶命した。残りの二人はその悲鳴に振り向くが、状況を確認するまもなく、命を落とした。

 兵士の悲鳴を契機にほかの兵士が続々と集結してきた。その兵士たちはいずれもピストルを構え、オヴィディウス帝国の腕章をつけていた。

 アトラスはそれを殺していく。敵に余裕を与えず、両の腕を血に染めて。

 そこには人を殺す恐怖も悲しみもためらいもなかった。あったのはヒューイが殺されたことに対する強い憎しみと悲しみだけ。アトラスの心はそれに支配されているといっても、過言ではなかった。

 それゆえ、自分がどれほどおかしいか気づかなかった。












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