第一話・覚醒
「……?」
まず、目に入ってきたのは白い天井だった。
そして、飾りも何もない、雨風をしのぐためだけにある壁。
かろうじて黒ずんだ花瓶とそれに入っている枯れた花だけが飾りと言えた。
他にあるのは生活に必要最低限のものだけだ。
そのとき、部屋にある唯一の扉がガチャっと開いた。思わず、手を構える。
「そんなに警戒しなくてもいい。誰もお前さんを取って食わんよ」
老人はそう言うと、手に持っていたお盆をベッドの脇にある小さな机の上に置いた。
そして、この部屋に一つしかない古びた椅子に腰掛ける。
椅子の座布団の部分は古いながらも手入れはされているようで、汚くはなかった。
だが、椅子の脚の部分はがたが来ているようで、時折、不快な音を立てた。
「そろそろ目が覚めるころだと思ってね。お腹空いているだろう? ま、ともかく水だ」
老人は綺麗な水で満たされたコップを差し出した。怖々と受け取り、何と無く匂いをかいでみる。
「毒も何も入っとらんよ。ただの水だ。安心して飲みなさい」
緊張しながらもコップに口をつけた。喉に冷たい水が流れる。
美味しい……
程良く冷たい水を美味しく感じた。こんな気持ち、初めてだった。
老人はうんうんと頷くと、
「まだ病み上がりのようなものだからの、流動食が良いと思っての」
と言って、お盆の上にある小さな土鍋の蓋を取る。そこからは湯気が立ち上り、美味しそうな匂いが漂ってくる。
老人は空になったコップを受け取ると、スプーンを渡した。
一口食べてみる。暖かいのと卵のふんわりとした感触がする。程良い味付けがさらにいい。
「美味しいか? そうかそうか」
老人は皺だらけの顔を笑顔でくしゃくしゃにして笑った。まるで子供のようだ。
「食べながらで良いんじゃがな、お前さんの名前は何と言うんじゃ?」
「名前……アトラス……」
アトラスと名乗った少女はそれだけ言うと、食べるのを再開した。
白銀の長い髪に銀色の瞳。笑顔も浮かべない冷たい表情。
「そうか。アトラスと言うのか。帰る所はあるのかね?」
「……わからない。何も覚えていない……」
アトラスのその言葉に、老人は唸った。病名は一つ。だがそれは、治療が一番難しい大変な病気だ。
アトラスが自分から治そうとしない限り、決して治らない。
「記憶喪失かのぉ。これっ限りは医者でもどうにもならんよ」
「……お爺さんは医者なの?」
アトラスは冷たい表情のままそう尋ねた。
「まぁな。私はヒューイと言う。家族はおらんよ」
ヒューイはアトラスの年不相応な表情に驚いた。
いくらこの御時勢とはいえ、アトラスの年齢で笑顔を一欠片も見せない子はそういない。
相当、酷い目に合ってきたのだろう。
「でも、あの写真……」
そう言ってアトラスが指を指した物は、枯れた花が飾られた花瓶の隣にある写真立てだった。
その写真には今より少し若いヒューイと、ヒューイそっくりな男性とアトラスと同じ白銀の髪に銀色の瞳の女性が写っていた。
ヒューイはうなだれて黙っていた。
触れてはならない傷。開けてはならない箱。
アトラスの言葉はヒューイのそれに触れてしまったのだ。
「……ごめんなさい」
「アトラスが謝ることはないよ」
ヒューイはそれだけ言うと、お盆を片手に椅子から立ち上がった。そして、そのまま部屋を出て行こうとした。
「あの! ヒューイさん。お祖父ちゃんって呼んで良いですか?」
「……ああ。ありがとう」
そう言ったヒューイの顔は驚きと嬉しさに彩られていた。
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