第十九話・終幕
自分のすべきことは一つだった。ここからアトラスを連れて逃げることだ。できればトゥースの死体を父さんたちの墓の隣に葬りたかったけれど無理のようだ。ここから死体を運ぶのは目立ちすぎる。自分とアトラスが逃げる前に発見されるのが関の山。
それに時間もない。いくらオヴィディウス帝が軍の者たちを王宮から遠ざけていたとしても、アトラスがここに来た時間も考えると限界だ。この現状に駆け付けられたらとてもじゃないが言い訳の仕様がない。確実に一生牢屋か死刑だ。
トゥースの服の首もとに飾りとしてつけられている翡翠をもぎ取り大事に抱え込む。自分にできるのはこのくらいだ。こんなちょっとしたことしかできなくて悔しい。
爪が肉に食い込むのではないかというほど強く手を握りしめた。こうしている時間も確かに必要だが、今はこんなことをしている時間などない。
「アトラス?」
オヴィディウス帝の屍の上にうずくまったままのアトラスに声を掛ける。けれども一向にアトラスの返事はない。そうしている間も時間は、貴重なこの時間は一刻一刻失われていく。
「……アトラス?」
もう一度呼び掛けるが反応は全くない。おかしい。死んでいるはずも気絶しているはずもない。確かに生きているはずなのに。焦りが生じてくる。
「行くわよ」
無慈悲な言葉だったかも知れない。無神経な言葉だったかも知れない。けれど、ここでのんびりしている時間はないのだ。フェルは促すためにアトラスの肩を叩こうとした。
ぐるりとアトラスがこちらを見てにまぁと笑ったと思った瞬間。腹部に鈍い痛みが走り、自分の体が吹き飛んだ。
「……!!」
くぐもったうめき声があがる。避けることはできなかったが、かろうじで後ろに飛ぶことでダメージを軽減した。それでも腹部は鈍痛を訴えるし、口の中に血が込み上げてきている気がした。気持ち悪い。
「残念。はずれか」
ぺろりと白銀の髪の少女は手に付いた血を舐める。そして顔に浮かぶ嘲笑めいた微笑み。明らかにフェルが知っているアトラスと違っていた。アトラスは決してそんな微笑など浮かべないのだから。
「フリア……」
軌るような声が、血と共にフェルの口から溢れた。血は口の端から地に落ち、ぽたぽたと紅の水玉を形成する。声がいつもより毒々しく刺々しい。今までにないぐらいの憎しみを含んだ怒りだった。自分でもコントロールできるかわからないぐらいの。
「これ以上、一体何を望む!?」
「心外だな。これでもコピーと言えど私は人間だ。可愛い服を着たいと思うし、おいしいご飯を食べたいと思う。そして当然のように欲望も持つ。私が望むこと……それは『殺人兵器』殲滅。残りはそなた一人。私の手で始まったのだから私の手で終わらせなければならないんだ」
フリアは静かに立ち上がる。にまぁというフリアの笑みは、確かに人間というモノを凌駕した笑みだった。フリアの言う人間らしさなど見当たらない。そこにあるのは悲しきことに狂気のみ。アトラスの欠片はどこにも見えない。
最後の一言が意味することは分からなかった。だがフェルは何かを決意したかのようにリヴォルバーを握り、その銃口をフリアの左胸にポイントする。双方の顔に動揺さえ浮かばない。驚愕さえも。ただ無表情なのだ。
「あなたに私を殺せるというのか?」
「……もう弱い自分から目をそらさないと決めていた。誰が何と言おうとフリア、あなたを殺す!!」
フリアはフェルの言葉に軽く笑っただけだった。そしてそれが後悔することになる戦いの始まりの合図だった。いや、戦いの始まりですらなかった。全て紛い物であったのだから。
フェルは一切迷わず引き金を引き続けた。弾倉が空になるまで何発も。だがフェルの予想に反してフリアは全く動かなかった。微動だにしなかった。
そしてフェルのリヴォルバーから吐き出された銃弾が正確にフリアの、アトラスの左胸に吸い込まれていった。鈍い音を立ててその体が倒れていくのをまのあたりにしても、この現状を信じることができなかった。
「アトラス!!」
駆け寄らずにはいられなかった。ふわりと倒れるアトラスを床に落ちるギリギリの所で抱き止める。
「どうして……どうして避けなかったの、アトラス……」
「もう、疲れたの。生きることも頑張ることも……たぶんオヴィディウス帝もトゥースも。私も、静かに眠らせて……」
すーっとアトラスの中から何かが抜けていくかのように、アトラスの瞼は閉じられた。
「あ、アトラス?……ぃやああああああっ!」
フェルの腕の中で"妹"は冷たくなっていった。
もう誰もいなくなった。
フェルは一人だった。
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