第十七話・羅刹
急がなければ。急がなければならない。
もちろんトゥースの言う"弟"の存在も問題である。この国のシステムというものは嫌いだが、少なくともこの国に住む人々に罪は無いのだ。ハズなのだ。
だけれども、問題はもう一つある。アトラスの存在。アトラスは確実に父親と母親と兄を殺したこの国の王―――オヴィディウス帝を憎んでいるはずだからだ。もちろん、フェルも全く憎んでいないかと問われたら否定することはできない。彼を亡くした原因の一端にオヴィディウス帝も関わっているのだから。
けれど、もし憎しみのあまり、アトラスの中に眠るモノが目覚めてしまったら。その時何が起きるかは想像できないだろう。
アトラスの中にはオリジナルの記憶、意識、能力があるとリューイから聞いた。そのオリジナルの能力は万物を操るもの。いわゆる超能力など、現在の科学技術力では解明できない。そしてアトラスの殺人能力。確実にこの世界は滅んでしまう。
その恐れは刻々と近づいている。アトラスが憎む相手を失うという時が。
それにしても警備がゆるすぎはしないだろうか。いくら戦争のために兵士が出払っていると言うっても、王宮に入ってから一度も一人にも会わないのはおかしすぎる。おかしすぎた。
「トゥース」
「ああ。オヴィディウス帝はアトラスに殺されるつもりだ。そのつもりで俺を名代という名目で遠くにおいたんだ!! クソっ!!」
さしものトゥースも悪態をつかずにはいられない。仮にアトラスが復讐を終えた後であの力を使わずにいたとしよう。そうなると、確かに世界は滅びないだろう。
だが、この国は混乱に陥るだろう。今のオヴィディウス帝には世継ぎがいないのだから。家族さえいないのだから。正確にはコピーが二人いると言えるかもしれないが。
二人とも、決して正義心からして行動しているのではない。フェルはリューイとの約束。トゥースは自分の自由が妨げられるまたは、あの弟にこの帝国をまかせることになってしまうこと。
その時、鳴り響くのは。
無情にも、銃声。
「フェル、こっちだ!」
そうして二人の目に入るのは
「アトラス!!」
「父さん!!」
己の血の海に横たわるオヴィディウス帝と狂ったように笑い声をあげるアトラス。その手は血に濡れている。目をめいいっぱい見開いて、口が裂けそうなぐらい大きく開けて。
「動くな」
アトラスの声にフェルとトゥースはまるで縫いつけられたかのように、その場から動けなくなる。トゥースが無理に動こうとしているのか、ピキ、ピキと不吉な音がし始める。
「まだこの男は死んでいないの。簡単には死なせない。父さんや母さん、お兄ちゃんみたいに生きたまま火にくべた方がいいかしら。でも、それでは一回で終わってしまうからね。死にたいと自ら思っても、死なせてあげないわ」
悪魔。鬼。狂人。アトラスのその様は人間と言えるものではない。もう人間アトラスの精神は崩壊の道を辿っているのだ。
「……アトラス……お前はそこまで堕ちたか!」
息もたえだえなオヴィディウス帝の口から言葉がもれる。だが、アトラスはその言葉に動じなかった。それどころか、何がおかしいのか笑い声が王座の間に響く。
「あなたのセイでしょう? 私があなたにそんなことを言われるなんて筋違いもいいところだッ」
銀光がアトラスの中を駆った。そしてそれはアトラスの体から抜けたあとオヴィディウス帝の心臓を貫いた。ヒュー、と荒い息を吐いたオヴィディウス帝は静かに目を閉じた。
「まだ死ぬなんて早すぎだ! 死ぬな、オヴィディウス!」
さっきまで復讐心に包まれたアトラスが泣いていて。オヴィディウス帝を撃った男―――トゥースは確かに笑っていた。
その時。
"世界"の王の中の王とまで言われたオヴィディウス帝は、死んだ。
その時。
新たな"世界"の王が誕生したはずだった。
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