第十五話・復讐
こつこつこつ。オヴィディウス帝国の帝都ハルデンベルクにある王宮。単調な音が響くその場所は豪奢というよりは質素堅実で実用性を重視しているようだ。どこにも華美な様子は見られない。それだけではない。軽く調べただけではあるが、表の門ぐらいしか見つけてはいない。おそらく、外から見えない場所にあるのだろう。
侵入するのにはどうしたらよいか。表の門は三重の防壁に囲まれている。その防壁の一つ目では持ち物検査と身分証提示が求められる。そしてその防壁の中では多くの衛兵が見回っているのだ。
二つ目の防壁は何事もない。二つ目の防壁の中では王宮に仕えている者たちの宿舎のようなものが存在する。もちろん数名ではあるが衛兵が見回っている。
そして三つ目の防壁。許可証を持っている者は容易に通れる場所である。逆に許可証を持たない物はかなりの時間を要する場所だ。そもそも、許可証を持たずに王宮を訪れるものは珍しい。それゆえにとても目立つ。
アトラスはその珍しい例だった。そもそも身分を証明できる物さえ持っていないのだ。一つ目の防壁をくぐることさえ不可能なはずだった。けれどアトラスはそれをやってのけたのだ。
ただ、「通せ」と一言命じるだけでよかった。衛兵は直立不動の姿勢を取り、敬礼して見せたのだ。アトラスはそれに何も疑問を抱かなかった。そう、もう一人のアトラスとでもいう存在が目を覚ましつつあったから。アトラスは狂い始めていたから。
そこまでしてアトラスが目指す目的は一つ。復讐、だった。
かつてアトラスはアーノルドを父に、ソフィアを母に持つ少女フリアだった。白銀の髪とまるで人形のような銀色の瞳を持った少女。アーノルドもソフィアも医療技術研究者でそれぞれ研究に忙しかったが、子育てを疎かにすることもなく唯一の娘を愛し、慈しみ、とても大切に育てた。
そんな幸福な日々にも、やがてピリオドが打たれる。幸せな日々ほど長くは続かない。まさにそれがいえる出来事だった。しかしそれは誰もが考えてみない終わり方だった。
先天性免疫不全症候群。またの名を原発性免疫不完全症。免疫グロブリンの産生能力やリンパ球の機能が生まれつき弱いために起こる免疫不全症候群のことだ。
両親が医療技術研究者で、さらに周囲にこれだけの医療のスペシャリストがいながら、誰も気付かなかったのだ。誰だって己の無力に打ちのめされるだろう。
こうしてアトラスのフリアとしての生はわずか四歳で幕を閉じた。あまりにも、短すぎた。あまりにも。
それから、アーノルドとソフィアは医療技術の、特に遺伝子の研究にますます打ち込むようになる。―――フリアを蘇らせるために。
そうして第二のフリアとして誕生したのがフリアの遺伝子から作られたアトラスである。そのアトラスにアーノルドとソフィア、特にソフィアは様々な事を教えるようになる。母親というものは複雑で、よほど自分の半身とも言えるわが子を失ってつらかったのだろう。だから、よけいに。
しかし、事態はそれだけで終わりはしなかったのだ。オヴィディウス帝が口封じという名目で、研究所を襲ったのだ。
結果、アーノルドとソフィアは炎の海に呑まれ死に逝くことになる。さらに、リューイはアトラスを逃がした後、自ら炎の中に入り、死んでいった。自殺ではない。殺されたのだ。
過去のことだ。そう片付けてしまうのはたやすいことだろう。そうやって記憶の彼方に追いやるのもたやすいであろう。忘れたフリをして背中を向けてしまうこともたやすいことであろう。だが、アトラスにとっては、いや、アトラスの中にいるフリアにとってはたやすいこと、ではなかった。
「アトラス……いや、フリアだね」
突然、そう言いながら現れた男にアトラスは訝しげな視線を送る。黒髪に黒瞳。トゥース似の男……というよりも瓜二つと言っていいほどよく似ている。違うのは浮かべる微笑みと幼い顔つきぐらい。
「邪魔だ。どけ」
そのアトラスの言葉にもびくともしない。おかしい。何かが確実に狂っている。
「これでも君と同類だからね。君の言葉は効かないよ。君にはフリアを、僕にはルチフェルがいるからさ」
さぁ、とでも言うかのようにその男はアトラスに向かって手を差し出した。アトラスはそれに逡巡する。それもそのはず。この男とは今ここで始めて会ったのだ。それを信用してもいいかどうか。
「僕の名はルーセム。この世界の破壊者で、いずれ創造者となる男さ」
アトラスはルーセムの手を取らずにはいられなかった。同じ“復讐”という色がルーセムにも浮かんでいるようにしか見えなかったから。
その時は。
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