第十話・意味



「…………?」


 アトラスの双眸に映るのは少しぼやけた白い天井だ。それが目に入ったとたん、慌てて起き上がる。周囲を見回して、安心したせいか落胆したせいか溜め息を零す。

 一瞬。失われたはずのあの家だと錯覚しそうになった。もう、どこにもないというのに。もう、帰る場所はどこにもないというのに。どうやらここは、ゼノンにある安宿の一つらしい。安宿とは言っても、掃除は行き届いて清潔だ。それどころか、宿の中ではいい方にあるだろう。


「あ、起きたのね」


 そう言って部屋に入ってきたのは茶色い髪のセクシーな女性だ。優美な立ち振る舞いと油断がないその動きはどこか薔薇の花を思い起こさせる。


「あの……あなたは……?」


「……フェルよ。久しぶりね、アトラス」


 フェルは、アトラスが握ってなかなか離さなかった書類を投げる。そう、あの『培養兵器開発報告書』である。それを拾うアトラスの手は震え、顔は血の気が失せたのか、蒼白である。一種の恐怖心を抑えようとするが、歯が自然とカチカチ鳴ってしまう。


「三ページ目……読みなさい」


 アトラスは雨に濡れたせいでバリバリになった書類を震える手でめくる。紙がこすれあう音だけが静かなその部屋に響いた。







 …………<製造番号:3>をフェルとする。これは…………





「あなたも……?」


「そう。けれどこの計画プロジェクト は失敗。自由なの。自由に太陽の下を大切な人と歩けるの」


 フェルはカーテンに手をかけ、強く引く―――シャーっと音がして部屋の中にきらきらとした太陽の光が差し込む。―――でも……


「……なぜ私たちは生きているの? 何のために生きているの!?」


 フェルは溜め息を吐く。あきれたと言ってもいい。そんな質問はナンセンスだ。答える時間さえもが無駄なものだ。


「生きる意味なんて誰も知らない。あなたも私も、普通の人間も誰も知らない。誰かに聞いて答えが得られるような簡単なものではないわ。 …………研究所に荷物を置いてきたままなんでしょ? 行くわよ」


 フェルはアトラスの言葉に怒ったのか、必要最低限のことだけを話して部屋から出て行った。アトラスはその背中を追いかけることだけしかできなかった。











 無言。宿を出てからずっとこの調子だ。聞きたいことはたくさんあるのに、フェルの纏う雰囲気がそれを妨げる。そんな時、フェルが歩調を緩め、アトラスの歩調にあわせた。


「つけられてる。それもかなりの数に、ね」


 わかるかしら? とたずねるように言ったフェルの言葉に唇を動かすだけで答える。その様子にまるでフェルは感心したかような声を漏らした。しかしそれは決して感心している声音ではなかった。むしろ、馬鹿にしたような感じがする。

 二人は黙々と前へと進んだ。進むたびに人気のない路地へと進んでいる。敵を誘い込むために。そして突き当たりにたどり着く。二人が足を止めると、気配が動くのをやめたのもわかった。

  敵のいる位置が手に取るようにわかる。上に三、前に三。アンテナを広げるともっと敵がいることがわかる。合計十六。そして、アトラスはそのことを不思議に思わなかった。そう、また。

  その時、ピュッと銀光がひらめく。アトラスは難なくかわすと、それを放ったものの腕らしきところを手刀で一振り。それも、腕を折る勢いで。その攻撃は見事に決まり、銀光を放つもの―――短剣がカランという音を立てて地面に落ちる。

 それにアトラスは間髪いれず、頭付近に蹴りを入れる。骨をも粉砕するその蹴りはそれのフードをかすめたに過ぎなかった。そこから零れ落ちるのは黄金色に輝く髪。

 金髪を持つ少年の顔は右目付近が銀色の仮面に覆われていた。あらわになっている少年の左目の瞳の色はエメラルドグリーン。フェルにそれはとても見覚えのある人物だった。


「カミュ!」


 フェルのその叫びはむなしく空気に溶けた。その名の通り、死闘を繰り広げているアトラスとカミュの間には何者も入ることを許されてはいなかったのだ。












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