第五話・甘くて苦い


 あたしは結局サボることにして、いつもの屋上にいた。

ぽつ、ぽつ、

 冷たいものが降ってきた。雨でも降ってきたのだろうかと思って、あたしは空を仰ぎ見る。あたしの思考とは正反対に空は雲ひとつ無い快晴だ。あたしは目をこすった。冷たい。あたしは泣いていた。
 思わず笑ってしまった。あたしらしくないな。昔のことなんか思い出したせいだろうか。あたしは先輩のことは好きではなかったのかも知れない。恋に恋してたってやつ。だからだろうか。
 千希が先輩と付き合いだしても何も思わなかったし、悲しくもなかった。どうでも良かった。思い込んでいただけかもしれないけれど。けれど、千希に裏切られた時。
 あの時ほど悲しいことは無かった。「貴京をいじめるため」そう言った千希の言葉が耳に残っている。決して消えない言葉。
 けれど、今はもう千希のことはなんとも思っていない。表面的だけの友達。あたしはそう思って空を見上げた。もう涙を流さない。もう負けない。
 あたしはそう思っていた。そんなあたしを見ていた人がいたとも知らずに。
 その日はもう学校に居たくなかったから、家に帰った。授業を受けるのもめんどくさかったし、千希と一緒にいるのも嫌だった。
 でも、そのまま帰っても何もすることが無かったので、駅前のお店を覗いてみる。偶然、美味しいと評判のケーキ屋さん『パンドラ』を発見したので入ってみた。

「いらっしゃいませ」

 店内は冷房が冬だと言うのに効いていて、寒いぐらいだ。あたしは店内を見回した。さまざまなアンティークっぽい家具や小物が置いてある。あたしはその中の一つに目をとめた。
 それは流れるような金の髪にエメラルド色の瞳のアンティーク人形。まるで生きているかのようだ。着せられているドレスも美しく、ここまでたどってきた時を感じさせないものだった。

ぞく、

 背中に冷たいものが走った気がした。冷房のせいだけではない何かが。あたしは慌ててケーキのショーケースの方に向き直った。

「うわぁ!」

 ショーケースの中には小さな宝石のようなケーキがたくさんあった。

「あの、お薦めってどれですか?」

 あたしはショーケースの向こう側にいる人に尋ねた。その人は外見はとてもかっこよかった。パテシエには見えない茶髪の髪に耳にはピアス。
 鋭い目つきに目の下に泣きボクロがあった。そして、料理をする人の格好。ちょっと軟派っぽい男の人。あたしの中に何かが引っかかっていた。この人、どこかで見たことがある気がする。

「そうですね……バナナのミルフィーユとチーズケーキ、ピーチタルトっていうところですね」

「じゃぁ、それ三つとも一つずつください」

 そう言ってあたしはショーケースの上にお金を置いた。どのケーキも食べるのがもったいないと感じられる。

「ありがとうございました」

 あたしはケーキの箱と学生カバンを片手に、ビスケット色をした扉を開けようとした。
 けれど、あたしが扉に手をかける前に、その扉が開かれていく。

「あっ!」

「あっ!」

 あたしと扉の向こうにいた人は同時に叫んだ。ショーケースの向こうにいたお兄さんは相変わらずニコニコしている。








「えーと、お久しぶりです……」

 どういうわけか、あたしはケーキ屋さんの店内のアンティークの椅子に座っている。そして目の前には人―――千希のモトカレ、もといあたしの好きだった人が座っている。

「うん、久しぶりだね。驚いたなぁ、まさか会うとは思っていなかったよ。 ……実はここ、朔哉さくやの店なんだよ」

「えっ!」

 千希のモトカレ――大石ふみ先輩がそう言って指したのは、さっきショーケースの向こう側でニコニコしていたお兄さん。そのお兄さんが、大石先輩の友達の千草朔哉ちぐささくや先輩だというのだ。
 千草先輩とは大石先輩と、千希とあたしでよく遊んでいたから良く覚えている。中学の時、やっぱり吹奏楽をやっていて、トランペットをやっていた。
 でも中学の時とっても真面目だった千草先輩がまさか茶髪に染めてピアスをして、ケーキ屋さんをやっているなんて知らなかった。大石先輩も千草先輩もあたしと同じ東月華高校の生徒である。こちらが避けていたせいもあるが、今日まで、三年ぐらいずっと会っていなかった。
 あたしは、会いたくなかった。このまま記憶の中に埋もれてしまうことを望んでいた。
「ごゆっくり」
 千草先輩があたしと大石先輩の前に、さっきのお薦めのバナナのミルフィーユと紅茶を置いて立ち去っていった。

「……」

 沈黙が重苦しい。あたしは今さら大石先輩と話すことなんて無かった。あの光景を見て幻滅したせいかもしれないけれど。

「……千希ちゃんは元気にしてる?」

「あいかわらず、おしとやかです。私はだいぶ変わりましたけど……」

 やっぱり最初に聞いてきたのは千希のことだった。あたしは少しうつむいた。あんなことになっていてもまだ千希のことが好きなんだろうか。そうならば、よっぽど女を見る目がないといえるが。
 あたしは重苦しい空気の雰囲気に絶えられなくなって、目の前にあるケーキに手をつけた。

サク、

 パイのところが良い音を立てて崩れた。バナナのほんのり甘い香もする。一口ぶんだけフォークにそっとさして口の中に入れる。

「……おいしい」

 口の中でパイの香ばしさとバナナの甘味が混ざり合う。

「そのケーキさ、朔哉が賞を取ったやつなんだよ」

「そうなんですか……千草先輩、おめでとうございます」

 千草先輩はショーケースの向こうで、テレながら頭をかいた。

「でも、千草先輩ってまだ高三ですよね? なのになんで経営を?」

「親父の手伝いなんだよ。一応、目指しているのは菓子職人で、専門学校にいくことが決まってるんだ」

 千草先輩はニコニコしながら、どことなく幸せそうにつぶやいた。
 羨ましかった。
 日の光りを浴びて、明るい笑顔でいる陽水先輩が。
 あたしには決して手に入らなさそうなものを持っているのが。
 悲しかった。
 かつて、失われてしまったものであることが。
 その後、あたしは先輩たちと他愛もないことを話して、あたしは帰路についた。










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