第三話・転校生と数学


キーンコーンカーンコーン☆

 あたしがちょうど教室の前にたどり着いた時に、チャイムがなった。これもいつも同じ時間に鳴っている日常的なもの。変化がないもの。

ガラガラガラ、

 男子の何人かは教室から飛び出ていく。まるで小学生のようだ。あたしはそれを横目で見ながら教室に入った。
 あたしの席は窓側の一番後ろの席。午後は昼寝が楽しめる席だ。だが、夏は直射日光でとても暑い。そんなあたしの席には誰かが座っていた。座っていたのは長い黒髪の女の子。一心不乱に本を読んでいた。そんな様子はかわいいというより、綺麗だった。外見は、若菜わかな先生のタイプだった。でも、空気は冷たく感じる。全てを遮断している感じ。

「あ、貴京ききょう。転校生だよ、あれ。一限が現国だったから。現国の高見が、机が無いから貴京ききょうの席に座れって転校生に言ったんだよ」

 あたしの親友である(あたしはそうは思っていないけど)佐々乃千希ささのかずきが言った。千希かずきは小学四年生の時からの親友で幼なじみでお隣さんである。そのときにちょうど、千希かずきが引っ越してきたのだ。
 偶然、同じ高校を選んでいて、さらに、偶然、同じクラスになったのだ。誰かに仕組まれたのではないのかと思うほど、よく偶然が重なるなぁ、と思った。

「じゃあ、今日……はもう無いか。明日の現国は絶対出るよ」

 あたしは不敵な笑みを浮べた。現国の高見をぎゃふんと言わせてやる。
 あたしはふっと廊下側に一番後ろの席を見た。そこには綺麗な花が入った花瓶が置かれている。その席はあたしの彼氏だった紅林空くればやしそらの席。彼は、もうこの世には存在しない。空の双子の妹が無理を言って隣に席を作ってもらったのだ。
 しかし、妹の方の席も誰も座っていない。どうやら欠席のようだった。

「……今日も休み?」

「うん。風邪だって」

 そうして、こうして、千希かずきと話しているうちに貴重な十分間の休みが終わった。そして、授業が始まる。

ガラガラガラ、

「さぁ、席につけ。廊下にいるやつも中に入れ」

 数学の井上先生。本当は先生なんてつけたくない輩だ。ワックスで固めたオールバックの髪。中年おやじにありがちな飛び出たおなか。脂ぎった顔。もしかしたら、変質者や痴漢に間違われたこともあるかも知れない。授業の内容もわかりにくく、生徒にも嫌われている。性格と外見の両方で。
 そんな井上の授業に出ている理由はただ一つ。

「せんせぇ、席が無いんですけど」

「ああ、中野の席は転校生が座っているのか」

 数学の井上がそう言うと、今までずっと本を読んでいた例の転校生が顔を上げた。あたしは何となく、転校生が読んでいる本の表紙に目が言った。それは『UFOは本当に存在した!!』だった。あたしは内心、関わり合いたくない人種だと思った。何となく委員長と同じ雰囲気がする。やだなぁ。

「中野は椅子があれば十分だろう。それから、転校生に教科書を見せてやれ」

 井上が命令口調で言った。クラス全員があたしと井上の一挙一動に注目している。
 あたしはもちろん井上の言った通りにした。あたしはこんなことより、これからの井上とのバトルが楽しみだった。

「あたしは中野貴京なかのききょうよ。あな……」

「赤城ミナミ」

 美少女転校生――ミナミはそう言うと、再び『UFOは本当に存在した!!』を読み始めた。こちらには何も関心がないようだ。あたしは唖然とした。普通じゃない。

「中野、座れ」

 あたしは井上の声でミナミの机(本当はあたしの机なんだけど)の横に椅子を置いて座った。そして机の上に教科書をおく。
 ミナミはあたしの方をちらりと見ただけで、読書に戻った。ミナミは授業を受ける気が無いのだろうか。

「そんじゃぁ、やるぞ。中野、これを解け」

 さっそく、井上があたしを当ててきた。あたしは黒板に目をやる。はっきり言って、その問題は高校で取り扱うものではなかった。

パタパタパタ、

 あたしは黒板に向かう。井上は「これなら解けないだろう」という顔をしていた。一歩間違えれば、変質者に見えそうな顔だ。

コツコツコツコツ、

 あたしが解答を書いているうちに、井上の顔が蒼白になっていくのがわかった。一体今度はどこから問題を持ってきたのだろうか。センター試験ってことはないだろうな。でもまさか、国家試験ってこともないだろう。
 いくら井上でもそんなところから持ってくるわけ無いと思っていた。

コツコツコツコツ、

 あたしはなるべく他のみんながわかるような解答を書いている。そんなあたしの様子を見ていた井上の口は開いたままだ。

コツ、

「終わりましたよ。先生」

 井上ははっとして黒板を見る。黒板にはあたしの書いた詳しい解説つきの解答がびっしり書いてある。

「う、うむ。正解だ。ちなみに、余弦定理は?」

 なぜそんな簡単なことを聞くかわからなかったけれど、とりあえず答えた。

「a二乗=b二乗+c二乗−2bc・cosA、b二乗=c二乗+a二乗−2bc・cosB、c二乗=a二乗+b二乗−2ab・cosCですけど。余弦定理はこの問題に、何も関係ないですよ。全く出てこないですから。……ところで先生、これってどこから持ってきたんですか?」

「……」

 井上は何も言わなかった。教室全体も怖いくらい静かで、物音一つしなかった。

「先生、これってセンター試験や大学入試も比じゃないくらいの難題だと思うんですけど。それどころか、下手したら国家試験レベルだと思うんですけど……」

「……そうだ……」

 あたしは一瞬、え?と思った。まさか、本当に……

「冗談でしょ?」

 井上はもう何も言わなかった。あたしは唖然とした。いくら、生徒に先生が出した問題(大学入試やセンター試験の応用問題)に答えられて悔しいからって、国家試験レベルの問題をやらせたりするだろうか。
 自分でもいうのはなんだが、これを解けるあたしもあたしだけど。あたしはあきれて自分の席(ミナミにとられているけれど)に戻った。
 その日の数学で井上がもうあたしを当てることは無かった。

キーンコーンカーンコーン……、

 静かすぎる教室にチャイムの音が響いた。井上は何も言わずにさっさと教室を出ていった。










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