第十二話・両親の愛
空の告白の翌日。
鏡の中のあたしは目をみごと真っ赤に腫らしていた。若干、充血もしている。茶色の髪は寝癖でぐちゃぐちゃ。着古した大きめのジャージでぼんやりとつったってる姿は、われながらとんでもない格好だ。
―――せめて目を冷やしておけばよかった。
無駄な後悔をしても先に立たずだ。自分の惨状に諦めをつけてキッチンに行く。冷蔵庫を開けてみると、すぐに食べれそうなものは特になかった。
昨日買ったケーキが残っているが、そんなものは却下だ。朝からあまったるいものを食べれるほど乙女チックな人間ではない。
牛乳を片手にダイニングに出て、ソファーに座る。
人の気配はしない家の中。いるのは自分一人だ。そんなことも所詮日常のひとつであると自嘲する。全く馬鹿らしいにもほどがある。
あたしは牛乳をコップにいれることもせずに、一気に飲みほす。口の端を牛乳が一筋垂れるのを、パジャマの裾で拭った。
飲み終えたあたしの視線は自然とテーブルの上に向かう。
テーブルの上には料理が用意されていた。すっかり冷えたスクランブルエッグと炒めたベーコン、そして色とりどりのサラダにラップがかかっている。
あたしはまだ半分寝惚けた目で、冷たい目でテーブルの上の皿を見つめた。書き置きのひとつも何もない、義務と習慣でできたもの。それは気まぐれに飼いはじめたペットのエサとたいして変わりない。
朝食らしきもののとなりには今日の昼食と夕食に使えということか、万札が無造作に置かれている。
どうやら深夜に母親だけが帰ってきてこういうことをしているらしいが、こんなことぐらいならば、帰ってこなくていい。そもそも、顔を合わせたこと自体、一ヶ月以上前のことであった気がする。
当座の生活費さえあればもう高校生であるし、なんとかしのいでいけるものだ。だから親の存在だとか愛情だとかは不要物である。その前にあたしの親に愛情なんてものの欠片もないだろうが。
あたしはテーブルの上の物体から目をそらすと、時計を見つめた。只今の時間は七時。登校状況が遅刻と欠席と早退でほとんどを占めているこのあたしが、やけに早く起きていた。学校までの登校時間が約一時間であることを加味しても、あたしの中では早い方だ。
あたしはぼぉーっとしたままソファの上で体育座りをしていた。そうしていると、目が霞んできて眠くなりそうだ。
しかし、考えていた睡魔はぎりぎりのラインでなかなかやってこない。なにか引っ掛かることがあって眠れないのか。
昨日のことを思い返してみると、ふと大石先輩の目が充血していたな、転校生がやけに可愛かったけど変人傾向だなとか、紅林兄妹の話とか……昨日一日だけでも、とんでもないことばかり起きていた気がする。
あとは妙に嫌な夢をみた気がするが、何も覚えていないというぐらいか。
―――そういえば、今日の一限は……
「現国! やばいっ!!」
あたしは慌てて制服に着替えた。スカートを折ってミニスカートにするのも当然忘れずにして、ワイシャツのボタンを閉めるのにもどかしさを覚えながらも着る。適当にネクタイを絞めて、カーディガンをひっかけた。
その状態でダッシュで洗面所に走り込んだ。いつもの五倍ぐらいの早さで身支度を整える。
目が腫れているのが結構よく分かるが、それは致し方ない。化粧で隠すにしても、よけい醜くなるだけだ。こういう時は、できれば冷やす方がいいが、放置しておくに限る。今日は化粧をするのを諦めた。
テーブルの上の料理を冷蔵庫にしまう。つくり手に罪があろうと、食べ物には罪はないのだから。そして万札を掴みとり、軽い鞄を片手に家を出た。
あたしの家は一軒家。マンションの家のようにエレベーターを待つことも、乗ることも、階段を使うこともしなくていい。
そんな微妙な利点を上げながら、住宅街の中の道を駅に向かってひたすら走る。
スーツ姿のサラリーマンやOL、制服姿の中学生や高校生が歩いている様子は見えるが、小学生が学校に行く時間はまだこれかららしく、その姿は見えない。
たまに、あたしの基準では、早く行くのもいいものかもしれない。
ここまで急ぐ理由は今日の一限。今日の一限は高見の現代国語。昨日の復讐をするためだ。そう、たったそれだけのこと。けれど、やると決めたからにはちゃんとやらないと気が済まない。
あたしは駅に着くと、人混みを掻き分けて、改札の前までやってくる。急行停車駅であり、乗換駅でそれなりに栄えている駅であるため、朝から人が多い。
電光掲示板を見ると、ホームルームに間に合う最終電車があと一分で発車するようだ。時刻は七時三九分。二回の乗り換えがあることを考えて、ギリギリである。
改札を抜けると定期入れを片手にホームまでひたすらダッシュ。階段を走り降りるとき、もうすでに電車が来ていた。「駆け込み乗車はおやめ下さい」とアナウンスがする中、危険を省みず、階段を二段飛ばしで降りる。そして、閉まりそうになった電車のドアに滑り込む。
「せ、セーフ……」
プシューっと音を立てて、あたしの背中で扉が閉まった。本当にギリギリだった。その一瞬に不愉快な視線があたしに交錯するが、次の瞬間にはもう消えていた。
迷惑な人だな、とでも思われたのだろうか。思われたところで世間一般の目なんて遠に気にしていない。
それよりも、無事間にあったことにほっと胸をなでおろす。心臓はまだどきどきしていて、息はきれぎれ。完全には覚醒しきっていない頭がずきずきと痛んだ。おもわず、めがしらに手をやる。
閉まった扉に背中を預けて、窓の外を見渡す。窓によってやや楕円に四角く切り取られた世界が、とどまることなく流れていく。だが、この電車だって所詮は決められた線路の上を馬鹿のように往復しているだけなのだ。
常に変化が隣り合わせの世界。こんな単調で退屈でつまらない、変わり映えしない世界よりも、それがが具現化すればよかったのだ。
世界はそんなあたしの思惑とは、真逆の方向へと加速し続けている。
同じような幸せと多種多様な不幸が共存する"いつも通り"の世界へと。
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