第十一話・<青き魔女>



 歓楽街の片隅でけばけばしいネオンに照らされた場違いな廃ビル。月の光よりも強い人工的な光に照らされて、闇の中に浮かび上がるその姿には奇妙というよりも異質さの方が強く感じられる。
ネオンに一瞬だけ照らされた、今や誰もいない廃ビルの内部は剥き出しのコンクリートで覆われていた。窓を設置するためにあけたのか、コンクリートの壁の一面に大きな穴が開いている。しかし、窓ガラス本体はなく、おざなり程度ではあるが、銀色に光るアルミサッシがあるだけだ。しかしほこりと錆びに覆われて、新品であった頃の見る陰もない。
ほこりとカビ臭さの支配するその一室にはオフィスにするつもりであったのか、アルミ製の机やキャスターのついた椅子、書類や雑貨類がつまったダンボール箱がいくつも置いてある。しかし、そのいずれもほこりの絨毯で覆い尽されている。
昔、このビルの建設中に変死体が見付かったり、工事施工業者の間で原因不明の病が広まったりしたということがあった。そのため、一時期は怪奇ビルと呼ばれて騒がれたこともあったが、いずれにしても十年以上前のこと。遠に忘れられたことだ。
 今や単なる廃屋となったそのビルに、用事がある人は取り壊し業者くらいだろうか。その取り壊し予定すらもたっていないそのビルに、近づく者誰もはいない。
 一部の例外を除いて。
暗闇の中に二つの影が降り立った。ネオンも月の光も彼らを照らし出さなかったため、年格好も性別さえも分からなかった。
ただ一つの影の瞳は赤い輝きを放ち、もう一方の影の瞳は青い輝きを放っていた。その様はまさに異質という言葉にふさわしい。なぜなら、瞳が輝くなど普通の人間にはあり得ないことなのだから。
静寂が世界を支配した。どちらの影も身じろぎひとつしない。

「汚らわしいわ」

突然、青く輝く瞳を持つ影は明らかに女性の声でそう呟いた。見つめる先はコンクリートの穴の向こう側、歓楽街だ。
赤く輝く瞳を持つ影はそれに答えないが、その場に膝をついた。手は何かにすがりつくように、青く輝く瞳を持つ影にむかって伸ばされているのがか細い月の光に浮かび上がる。

「……<青き魔女>よ」

一瞬にして穏やかであった空気の色が変わった。その色は何もかもが凍りつく色。冷たい冷たい青の色。

コツ、

青く輝く瞳を持つ影―――<青き魔女>と呼ばれた影が一歩踏み出す。高圧的な靴音が響いて、外のネオンが影の顔を照らし出す。
その影の顔はまだ幼い女性の顔。金色のストレートヘア。高めの鼻。見下すかのように笑っている赤い唇。白磁のように白い肌。そして挑発的に青く輝く瞳。整ったその外見はアンティークドールをどこか思い起こさせる。

クスクスクス。

少女の血でも塗られたように赤い唇から笑い声がもれる。だがその青い瞳は決して笑っていない。むしろ、鋭い視線で赤く輝く瞳を持つ影を突き刺していた。笑い声はコンクリートの壁に反響して、突然ふっと消えた。

「貴方は私に敵対するものではないはずでしょう? <愚かな人形>よ」

「失礼いたしました、<ジャンヌ・ダルク>様」

青く輝く瞳を持つ影の声が女性の声であったのに対して、赤く輝く瞳を持つ影の声はしわがれた老人の声だ。しかし、その影は小柄でも腰が曲がっているでもなく、日本の一般男性の身長よりも高いであろう。そこだけ見ると、老人というよりも青年といった様子だ。

「ところで、事は万事穏やかに進んでいて?」

「必要なものは全て揃いました。……いえ、残るは<鍵>のみであると」

穏やかになりかけた女性の視線が再び鋭くなり、赤く輝く瞳を持つ影を突き刺した。それは怒りよりも弾劾を深く、重く、含んでいた。
赤く輝く瞳を持つ影も女性の視線を何なのか察したのか、すぐさま謝罪の言葉を口にする。

「申し訳ございません」

「まぁ、いいわ。<鍵>ね、そんなもの容易なきっかけで消えてしまうものよ」

「自分が」

「黙りなさい」

女性のその言葉が響くと共に赤く輝く瞳を持つ影がびくっと揺れる。その影から何の言葉も発せられない。動作一つしない。文字通り、女性の言葉に黙らせられたかのようだ。
 普通なら、全てありえないこと。

「私は貴方を殺すことができる。一瞬で殺すこともできるし、痛みを長引かせて殺すこともできる。同じく傷つけることも。貴方たちは私のマリオネット。所詮は人形。歯向かうことは、許されない」

懍とした声が朗々と響く。とても女性の唇から発せられたとは思えない口調。その声音は瞳の輝きと同じくどこまでも深い青の色。そして同時に、凍りつくような冷たさを持っている。
女性の言葉は毒のように、赤く輝く瞳を持つ影の体内を巡り、蝕んでいく。それでも赤く輝く瞳を持つ影は搾り出すように言葉を発する。

「しかし……」

「やめなさい。歯向かうことは許されない」

怒気をこもった声を<青き魔女>が発する。そして、両手を高く掲げた。瞬く間に両手に青く輝く燐光が集まり、青い光の玉らしきものが形成される。
青い光の玉の内部でパチパチと何かがはぜる音がした。青い光の玉はコンクリートの屋内を淡く照らし出す。そこにあるのは影が降り立つ前にはなかったはずの、とんでもない惨状。紛れもなく奇異な事実だった。
まだ鮮やかな人為的な血痕が床のみならず、壁、天井に広がっている。文字であり紋様であったそれらは円形状に描かれていた。四方、床、天井の六ヶ所に描かれた円の中央には皆同じ文字らしきものが刻まれている。
この怪しげな様は、かつて西欧で行われたという魔女会(サバト)に酷似していることは否めない。しかし、女性は周囲の惨状に目もくれない。

「消えなさい。<愚かな人形>よ」

女性は赤く輝く瞳を持つ影へ向けて、両手を構えた。
そこから青い光がほとばしる。全てを埋め尽すような強い青の光。
再びネオンがこの場所を照らした時、何も残っていなかった。二つの影は消えていた。










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