第十話・「彼」


  僕が目覚めたのは真っ白な部屋―――病院のベッドの上だった。

「母さん……」

「ああ、海。目を覚ましたのね」

 そう言って微笑んだのは憔悴しきった母さんだった。僕は母さんのその言葉に、えっ?と発しそうになった。

「僕は空だよ」

 母さんは僕の言葉に眉をしかめた。

「なに言ってるの。あなたは女の子じゃない」

 僕は焦って自分の体を確認する。―――女だった。僕は一所懸命記憶を探り出した。信が僕を突き飛ばして、トラックが僕を轢きそうになったとき、海が僕を突き飛ばして、海は、海が僕の代わりにトラックに轢かれた。
 海が死んだ。

「……母さん、一人にしてほしい」

 僕が何とかそう呟くと、母さんは頷いて病室を出ていった。そして僕は海が死んでしまったことに涙を流した。自分を攻めた。

カチャ、

「信、か……」

「その話し方は空だな……」

 病室に入ってきた信はそう言うと、先程まで母さんが腰掛けていた椅子に座った。その椅子は耳障りな音を立てて、信を受け止めた。嫌な沈黙が僕達を包んだ。僕はきっと信が怒っていると、憎んでいると思った。僕のせいで海は死んだのだ。僕はうつむいた。

「俺のせいだ……海が死んだのは」

 信が呟いた。その目からは、涙がこぼれた。

「……」

 再び静寂が僕達を包んだ。空気が肩に重くのしかかっているかのように思えた。

「帰ってくれ」

 僕はそう言うと布団をかぶった。

ガチャ、

「……お大事に……」

バタン、

 僕は布団から顔を出して、信が出ていった扉を見つめた。僕の瞳から、少しずつ塩辛い水が流れ落ちた。僕は声を殺して涙を流した。
 あれから、三年の月日がたった。あの頃中学三年生だった僕は、高校一年生だ。
   病院に信がきた時以来、信と言葉を交わすことも、会うこともしていない。海の葬式すら、信は来なかった。
 信は僕と海の能力のことについて誰にも話さなかった。信は嘘をついていなかった。その証拠に、誰からもそんな話を聞かない。もっと信を信じるべきだった。海が信じた信を信じるべきだった。
 そんな後悔は僕の胸のうちで、螺旋階段のようにぐるぐる回っていた。このことは全て僕のせいだ。僕は罪を背負った。
 僕は……いや、私は今、海として生きている。友達も女の子ばっかりだ。その上、私は一人暮らしをしている。両親が私を扱いかねたせいでもあるが、誰も私の事を知らない場所で暮らしたかったからでもある。でも、海のことは忘れない。絶対に。






 あたしは呆然としていた。話がとっぴすぎてついていけないのはもちろんのことだ。さらに目の前にいる、海であるはずの少女があたしか失ってしまった「彼」だなんて。そんな話なんて、誰が信じられるだろうか。

「……海、何かの作り話だよね?これって冗談だよね?」

 あたしは海が肯定することを望んでいた。けれども、海はその首を左右に振った。瞳には、顔には悲しみの色が浮かんでいた。

「全部……全部が本当のことだよ。僕が空で、海が僕の代わりに死んだことも、不思議な能力を持っていたことも」

 そう言った海――いや、空の目は真剣で、とても嘘をついているようには見えなかった。それに、あたしが空に告白した時の言葉を一字一句間違えずに言った。あの時の状態まで全て、正確に、空は言った。
 あたしの瞳から、もう流さないと決めていた涙が一粒、こぼれ落ちた。その後も、涙はとめどなく流れ落ちた。もう気にしていなかった。心が張り裂けそうだった。

「……なんで、すぐに言ってくれなかったの。言ってくれれば良かったのに!」

 あたしは力なく空の肩を叩いた。涙があたしの瞳からボロボロ落ちてきて、あたしの顔をぬらしていく。全てが、目の前にいる空さえもぼやけていく。

「ゴメン……」

「ひっく……ばかぁ!ひっく……あほぉ!」

 あたしが何を言っても、空は「ゴメン……」と呟くばかりだった。










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