てるてるぼうず、てるぼうず
 あしたてんきにしておくれ



a small doll. 前編





 足元の長靴がちゃぽんと、音をたてながら水たまりの中に突っ込む。ゴム製のそれは、ちゃぽんと音をたてて水を押し返す。もう一歩踏み出すと父親が買ってくれた黄色の長靴が、ちゃぽんと音をたてて水の中から上がった。
 右手にはかさ。ピンクの布地の端に白い花が書いてあるお気に入りのかさ。大人物の傘で若干大きいけれど、ずっと前から欲しいと思ってようやく母親に買ってもらったのだ。今日がデビューの新しい傘は雨水を受け止めて音をたてる。ぱらっ、ぱらっ。
 長靴と傘が奏でる音楽はその持ち主だけに聞こえる特別な音楽だ。その持ち主で唯一長靴と傘が奏でる音楽が聞ける少女はにこりと笑った。おかっぱの少女は笑顔でスキップをした。水たまりの水が水飛沫を生み、服をぬらそうとする。しかし、水飛沫は少女の着ている黄色いレインコートにはじかれる。
 すっ、と少女から笑顔が消えた。

「明日はおかあさんと買い物に行くのに……」

 少女の小さな呟きは雨音の中に消えて逝く。消えて逝った言葉は、少女が明日市場に母親と買い物に行く約束をしている、ということを示していた。けれど、明日も雨が降っていたら、きっと連れて行ってはくれないだろう。そうなれば、雨の日に家で一人留守番することになってしまう。楽しみにしていた明日という日がつまらない一日で終わってしまうのはなんだか嫌だった。

「あっ、そうだ!」

 少女は何かを思いついたように顔を輝かせて、濡れてしまうのもかまわずに駆け出す。ばしゃばしゃという音と共に少女の体が大通りに消えたとほぼ同時に悲鳴と人々のざわめきが聞こえだす。多くの人々の囲いの中心にいつものは―――無残にも馬車にひかれた少女の轢死体であった。
 少女が母親と共に市場へ買い物に行くことはなかった。



てるてるぼうず、てるぼうず……




 よくない噂を聞いた。雨の日に現れる人さらい。さらわれた人が生きて帰ってくることは一度もなかった。首を絞められたか、首が切断されているか、その違いはあれどさらわれた人は必ず死体で帰ってくる。さらに、何か規則でもあるのかさらわれた次の日が晴れの日ならば、単に首を絞められただけで、雨の日ならば首は切断された状態で。
 以前のゼノンはこんなに治安が悪くなかった。多少殺人事件などはあったが、ここまでの怪奇事件はない。

「雨、か」

 小さな滴が一滴、紅い衣を纏った少女……というよりは少し大人びた女性の頭に落ちる。女性は空を仰ぎみる。灰色というよりは黒に近い雲がひしめき合っている。遠くにも白い雲や日の光は見えない。雨、それも長雨になりそうな気がする。また人さらいが現れるのだろうか。せめて自分お前には現れて欲しくない、と思う。
 そういう時に限って、そういうものと出会ってしまうのは悲しき運命とでも言うのだろうか。

「早く家に帰りなさい」

 茶色の髪をなびかせた女性は、突如目の前に現れたピンクの傘をさしている少女に声をかけた。それがどこかおかしいのはわかりきっていた。この雨の中に全く音をたてずにこの女性に気配を感じさせないで近づくことは不可能。それこそ幽霊でもない限り。

「幽霊、ね」

 女性が走呟いたとたん目の前にいた少女の姿がかき消える。女性はさして驚いた風もなく冷たく一瞥すると、その場で踏み切り、上へ跳び上がる。
 人間の跳躍力をはるかに超えた高さに跳び上がると、消えた少女が女性の真横に現れた。その手に傘はない。あるのは凝固し始めた血にまみれた包丁と黒い紐状の物。
 少女は紐状の物体を空中に放つ。それは瞬く間に広がると上昇から落下へと移行しつつある女性を捕らえようとした。

「面倒ね」

 女性は体にからみつこうとする黒い紐を拳打するが、それが紐状であるがゆえに効果はないようだ。女性のその様子に浮いたままの少女はにたりと笑う。
 ところが女性もそれに応えるように微笑を浮かべると紐状の物体を足場に、再び空へ舞う。今度はただ真上に跳び上がらずに、斜めに飛んで建物の屋根の上に音もたてずに着地する。
 着地と同時に構えを取るが、考えていた攻撃はなかった。それどころか、姿も見えない。

「やはり、幽霊か……」

 本降りの雨の中、周囲をきょろきょろ見回すと視界の端に黒い紐状の物体がかすめた。それはとある建物の窓から中へ消えていくところだった。

「レヴィント家か……それならあれは……」

その建物は女性の母親の同僚であった研究員の家。そして何よりも女性の古き親友ベルリオーズ・レヴィントの家だった。
 女性は屋根の上から道へ飛び降りると、水たまりが紅の衣をずぶぬれにするのも気にせずに駆けた。そして迷うことなく今は廃屋と化しているその家に飛び込んだ。










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