薄桜萌葱



 枝葉の間から漏れてくる日の光。こだまする鳥の鳴き声。朝のすがすがしい空気とそれを孕む少し冷たい風。

 その日もいつもと変わらない一日のはずだった。……のだが




 「おはよう、ローザ♪」


 扉が吹き飛ぶ勢いでローザリーの私室に乗り込んできたのは眼鏡をかけた青年―――那智だ。行方不明になった教皇の代行として、手腕を振るうが普段の行動は例の教皇ファウストとさして変わりがない。

 すがすがしい空気を壊した那智に対する態度が多少悪くなったとしても、ローザリーを責めることはできない。


「ヘンタイ」


 ローザリーはそう言い放つと自分の剣に手をかける。その目はどこまでも冷たい。それもそのはず。当然の行動といえよう。……毎日毎日フィアから那智の悪口を聞いていれば……

 さらに、ローザリーの格好はパジャマ。まだ起きたばかりで、着替えてもいなかったのだ。

 そんなローザリーの攻撃をもろともせず、満面の笑みで手に持つものをローザリーに手渡す。それは白の紙にピンクの線がある包装紙に包まれ、ピンクのリボンがかけられている。

「何ですか、コレ?」


「今日はホワイトデーですから」


 口の中でホワイトデー……と呟く。


「来年のヴァレンタインのためにです。ローザはフィアと違って料理が上手な様ですし」


「誰が下手だって?」


 那智同様騒々しい音を立ててローザリーの私室に入ってきたのは、まだ早朝でもあるのに関わらず、きちんと制服を着込んだフィアだった。那智を見つめるその瞳は冷たい。纏う空気も冷たい。


「ああ、ちゃんとフィアの分もありますよ」


 フィアの矛先を変えようとしたのかはともかく、どこから出したのかリボンがかけられたビン詰めのキャンディーを取り出す。そのキャンディーは一応普通の色をしている。


「ヴァレンタインではあんなことになりましたが、一応お返しです」


 そういう那智の表情は笑顔だが、那智のことだ。きっと何かたくらんでいるに決まっている。

 さぁ、食べてくださいとでも言うかのように笑顔でフィアに迫る。

 その様子にローザリーは溜め息を吐く。他人から、事情を知らない人から見れば、ある意味ラブシーンに見えなくはない行動をわざわざ自分の部屋でしないで欲しい。もう一つ溜め息を吐いてベッドに座る。

 仕様がないとフィアはつぶやいてキャンディーのひとつを口に放り込む。そのフィアの表情は無表情から驚きへと変わった。よっぽど変な味でもしたのだろうか。


「おいしい……」


「当たり前です。ちゃんと市販のものを町で買ってきたんですから」


 那智は威張って言うが、威張って言うほどのことではない。だが、次の瞬間フィアは眠いと呟くと、床に崩れ落ちた。


「……睡眠薬入りのキャンディーですか?」


 とがめるような口調で那智に詰め寄る、もちろん、右手は剣にある。今すぐにも切りかかりそうだ。那智は慌てて顔をこくこくと振る。


「なぜですか?」


「……最近、寝ていない様で。夜も遅くまで仕事をしているみたいなんですよ。いつ倒れるか、心配で」


 そういう那智にローザリーは溜め息を吐かずにはいられない。どうしてフィアがこんなに頑張っているか、那智は全くわかっていないのだ。フィアはその努力を報われたいがためにしているわけではないのだが、これではあまりにもかわいそうである。


「フィアさんは那智さんのために頑張ってたんです」


「…………え?」


 数秒の逡巡の後、那智の口から驚きの言葉が漏れる。それもそのはず。普段のフィアは那智に対しては殊更に冷たいのだ。なのに。


「那智さんはもともとの仕事と教皇代行の仕事で、他の人の約二倍の仕事があるじゃないですか。いつも忙しそうにしている那智さんを見て、フィアさんは心配になったらしくて…………那智さんの仕事をフィアさんに回していたんです」


 これ、フィアさんに言わないでくださいね、と付け加えた。そんな様子に那智は苦笑する。


「私もそろそろ着替えて仕事をしなければならないので……フィアさんを部屋に運んでいってもらえませんか? フィアさんを運ぶぐらい余裕ですよね」


 ばれてたか。あなどれない。さすが元軍人。 と那智は心の中でローザリーを称賛する。那智はその腕にお姫様抱っこをするような感じでフィアを抱き上げ、部屋を出て行こうとした。その時、背中から、


「フィアさんがお休みなので、ちゃんとその分の仕事を那智さんがしてください」


 と言うローザリーの声が追いかけてきた。抜け目ないと言うか、何と言うか。もうこれには苦笑を漏らさずにはいられなかった。

 フィアは安心しきった顔で、那智の腕の中ですやすやと寝ている。

 まぁいいか、たまにはこんなことも。……フィアの寝顔も見れたし。那智は心の中でそんなことを呟いた。







 翌日、那智がいつもにましてフィアに冷たくされたのは言うまでもない。







 おしまい






*薄桜萌葱(うすざくらもえぎ)とは……?

 襲の色目。

 山科流では、表は薄青、裏も同じ、または薄紅。

 また、表は青、裏は蘇芳とも。