dis. ―魔女の家。―




 重たくて激しい雨が地面を鳴らす。地面に落ちた雨が細かい飛沫を生んで、霧を形成する。そのせいで石畳の路面、それだけでなく街全体を霞ませている。

 一方で、雨音はそれ以外の全ての音をかき消す。街は雨という名の暗闇に沈み、生というものをいとんでいるかのよう。

 当然、そんな日の街中に人影はない。

薄汚れた路地裏のスミで影がうごめく。それは影でなく、一匹の黒い猫。

 重たい雨にうたれているはずなのに、よどむことなく歩き続ける。それにはどこか気品が感じられる。

 実際、美しい猫であった。

 猫は何度目かの角を曲がると急に立ち止まった。石造りの壁には来る者を拒むような黒い扉。

 猫は構わずに爪で扉をひっかく。雨音で何も聞こえないはずなのに、カリカリカリという音が狭い路地裏に響く。

 扉はゆっくりと、しかし確実に、開かれた。









 昼間だというのに薄暗い路地裏。下水道の不備によって、慣れていない人間にはツライ臭気が漂っている。そんな場所にもかかわらず、人がいた。
 肩にかかるぐらいの、ゆるくウェーブしている栗色の髪を持つ女性が黒い扉の前にたたずんでいる。顔に幼さが残るところから年の頃は十六、七といったところ。
 女性は目の前の扉をじっと見つめていた。黒い他はなんの変哲もないただの扉。ドアプレートもなにもなく、そこに存在していることを知らなければ、誰もが通りすぎてしまいそうな気配が希薄の扉。
 そして"異端"の入り口。
 女性は意を決して扉を叩こうとした。

「何か用でも?」

 女性の拳が扉を叩く前に、声がかけられた。その声は後ろから。高すぎず低すぎず、まさに中程としか表し様のない声には、拒絶の響きが混ざっている。
 女性は恐々と振り返った。この国では珍しい黒髪に黒眼の女性。こげ茶色のワンピースにクリーム色の上着を着た女性が、冷たい眼差しでこちらを見ていた。

「用がないなら、こんな場所に容易に近付くな」

 今度は拒絶の響きなどではない。明確な拒絶を伴っていた。

「お願いが、どうしても叶えて欲しいお願いがあるんです!」

「…………」

「代金を払います。足りなかったら、何でもします。だから、願いを叶えて下さい!!」

「……ようこそ、魔女の家へ」

 黒髪黒眼の女性―――魔女がそう呟くと、黒い扉は勝手に開かれた・・・・・・・

「入って」

 魔女の言葉に女性は恐々と家の中にはいる。ランプに赤々と炎が灯っていて部屋の中は明るい。窓がない以外は極普通の家の居間と変わりない。

 いかにも魔女めいた薬品やあやしげな物体、黒い装飾も黒い扉を除けば全くない。たとえここを魔女の住みかと言っても、誰も信じないだろう。

「そこにかけて、ブラン・ストラスク」

「なんで私の名前……」

 魔女はブランの問いを無視して、隣の部屋らしき場所に消える。
 ブランはそれを見届けてから椅子に腰を下ろした。ようやく一息つくと、ゆっくりと部屋の中を見回す。
 裏路地に面している黒い扉と魔女が消えた普通の木戸。部屋の中央にテーブルと椅子が四脚。他にごちんまりとした本棚に背表紙に文字タイトル がない本が詰め込まれ、壁には白いタペストリーがかかっている。

「このタペストリー、色がないわ……」

 タペストリーには模様はあったが、それに付随してあるべき色彩というものが欠如していた。これでは何の絵が描いてあるかわからない。
 ブランは椅子から立ち上がるとタペストリーに近寄り、触れようと手を近づけた。

「家の主がいない間に調度品に触れるのが最近の作法?」

 ブランは触れようとした手を引っ込めて、慌てて振り返った。
 ゴシックロリータと言われる黒いドレスを身にまとい、頭には少し大きめの三角帽子が乗っている。黒髪黒眼とあいまって魔女らしさを引き立たせていた。

「座って」

「ごめんなさい」

 ブランはおとなしく椅子に座り込む。魔女はうながすように冷たく見るだけだ。深呼吸をして、ブランは話しはじめた。

「父と母は私が幼い頃に死んで、兄だけが私の肉親でした。その兄が根拠のない理由―――"異端者"といわれて殺されました。兄を殺した人に復讐……そいつを殺したいんです」

「その人の名前は?」

「ベルナール・ギ」

 ブランも魔女も黙ったまま。時間が少しずつ少しずつ消えていく。

「そう」

「ドミニコ会士の異端審問官です。それでも叶えてもらえますか!?」

「いいわ」

「それで、代金の方は……」

「この世界は等価交換で成り立つ。だから対価はベルナール・ギと同等のものをもらう」

 魔女はそう言うと、本棚から一冊の本を取り出す。パラパラと適当にめくり、とあるページで目をとめてじっと二、三秒見つめる。

 何かに納得したように頷くと、隣の部屋に消えた。と思ったらすぐ戻ってきた。ティーカップを携えて。ティーカップにはなみなみと紅色の液体がつがれていた。

「これを飲んで」

「これはなんですか?」

「今飲めば、貴方の願いごとを叶えるだけの力が手にできる。信じる信じないはあなたの自由」

 ブランは震える手でティーカップを受け取った。ティーカップの中で揺れる紅色の液体を一気に飲み干した。

「……これで、いいんですか?」

「ええ。これで目標の人物を前にしたとき、その力が勝手にそいつを殺してくれる。貴方の用はもうないはず。早く帰りなさい」

 魔女がそう言うと、言われなくてもわかっているとでも言うように、ブランはそそくさと魔女の家を辞する。

「ギル、盗み見は歓迎しない」

 誰もいなかったはずの室内に一人の男が現れた。髪の色は白く、瞳孔は淡紅。肌も白い。いわゆる汎発性の先天性メラニン色素欠乏症アルビノ と呼ばれるもの。

「失礼しました、創始之魔女オリジナルウィッチにして業火の魔女ヘルがそのようなことを気にするとは思わなかったので」

 ククッと自嘲的に笑う。

「いい度胸ね。ギルティー・メディチ―――名門メディチ家の"罪の子"。ローマ教皇レオ十世の隠し子が、図に乗るな」

「おや、貴女が怒っていらっしゃるなんて珍しい」

魔女はライターを取り出して点火した。摩擦によって生じた火花がライターに収まりきらない炎になり、細長く延びる。炎は刀の形を模し、魔女はそれを素手で掴みとる。
 何を考えているかわからないような無表情で刀の先をギルの首につきつけた。

「死よりも辛い苦しみを味わいたいなら、手加減しない」

「……失礼しました。それにしても、先ほどの"異端者マジョ"を帰してもよかったのですか?」

 魔女は炎の刀の先をギルの首筋から離し、何もない空を切った。すると炎の刀は空気中にかき消える。

兄との禁忌の愛・・・・・・・で"異端"を身に宿していたにすぎない。それにベルナール・ギ は、やりすぎた」

 魔女はテーブルに置いてあるティーカップに触れる。とたんにそれは炎に包まれ、灰も残らず消える。

「あんな"異端者"たちは異端審問会にさえ不必要。消えてしかるべき存在。ギルはブランが暴走しないように見張れ」

「それは上司としての命令ですか? それとも"契約者マスター"としての命令ですか?」

「どちらとも」

「わかりました」

 ギルはにやりと笑って、現れたときと同様、空気に溶けるように消える。

「役者はそろった」

 今まで一度も表情を変えることなかった魔女が、薄く笑った。







 ブランは石と煉瓦で出来た街の中を歩く。こつこつと靴が立てる音にさえ楽しさが沸き上がる。
 天にでも登った心地とはこのようなことを言うのか、と思う。
 魔女から力をもらった。自分一人では殺すことの出来ない異端審問官ベルナール・ギを殺す力。やっと念願の復讐ができる。
 広場まで来てブランは周囲がざわめいているのに気が付く。普通の種類のざわめきではない。

「……病気の……」

「魔女が……」

 ざわめきの中から聞こえる単語から魔女がいるなどということがわかる。ならば―――

「異端審問官もいるのね」

 ブランの顔が邪悪に歪む。
 群衆をかき分けて円の中央に進む。そこではやはり"異端者"と目された人間と白い異端審問官の制服を身に付けた人間たちがいた。
「……そいつを教会へ連れていけ」

 異端審問官たちの中央でひときわ目立つ壮年の男がいた。他の異端審問官に指示していることから見て、上位に位置する異端審問官らしい。

「あの」

「何の用だ。一般人がかばいだてするものじゃない。それともお前も"異端者"か?」

 壮年の男は、ベルナール・ギはゆっくりとブランの方を向く。

「……お前はっ!」

その節・・・はお世話になりました。今日はそのお礼をしにきたんです。兄を殺した・・・・・、ね」

 薄笑いを浮かべたまま肉薄し、ブランはベルナール・ギの腕を掴む。

「お前も、"異端者"か!」

 ベルナール・ギがそう叫ぶのと同時に、二人の体が炎に包まれる。うめき声と人肉が焼ける匂いが漂う。
 群衆の輪はすでに崩壊し、人々は恐るべき力を持った"異端者マジョ"のいる広場から試みていた。彼らの心に巣くったのは、恐怖。


「ふふふ、うれしいわ。やっと願いが叶って」
 ブランは自分の言葉に酔うようにうっとり呟く。
 炎の中から炭となった人間の形を模した物体が倒れ落ちる。どさりと音を立てて倒れたそれには生きていた時の面影もわからない。

「ベルナール・ギ審問官っ!」

 広場に残っていた異端審問官の一人が、そう声を上げる。当然だが、それに答える声はない。

「あははッ! まだ燃やさなきゃいけない敵がいるみたい!」

 ブランの体から炎が溢れると異端審問官たちを包むように広がった。完全に炎が包み込む前に炎は唐突に消える。

「どうして……?」

「なぜなら対価に見あうだけの力を君は使いきったからね。……それよりも君の体におかしいところはないかな?」

 白い髪に瞳孔が淡紅色の異端審問官にそう言われて、ブランは思わず自分の下腹部にてをやる。そこに先ほどまであったはずの生命が、ない。

「兄さんとの赤ちゃんが! どうして!? さっきまで、生きてここにいたはずなのにっ!」

「魔女に生き返してもらえばいい」

 アルビノの異端審問官―――ギルティー・メディチは、わざわざブランに魔女のことを吹き込む。

「対価さえ支払えば、魔女は何でも叶えてくれるよ」

 ギルはブランに笑いかける。ブランはそれに応えるかのように笑う。
 ブランは滑るように、いや地上から十センチほど上を浮いて駆けていく。異端審問官たちが慌てて追い掛けようとするが、それを止めたのはギルだった。

「異端審問官長が処理してくれる手筈になっている。我々が安易に手を出すごとき事項ではすでにないよ」

 ギルティー・メディチは皮肉のように笑った。







 一方、ブランは黒い扉の魔女の家を目指して、ひたすら路地を走る。一度しか訪れたことがない場所であるのに、あっさりとその場所にたどり着く。
 息もきらさず、ブランは黒い扉を開け放つ。

「相変わらず、無礼」

 魔女は突然入ってきたブランに、眉をひそめる。

「私と兄の赤ちゃんを生き返らせて!」

「無理よ」

 冷たく無情に淡々と拒絶を魔女は口にする。

「どうして!? 本当に魔女なら、そんなこと容易でしょっ!」

「赤ん坊と等価になるものを貴方は何も持っていない。だから、無理」

 同時にブランの体から炎が溢れ出す。それはまるで生き物のように、ブランを包み込みはじめる。

「なにこれ! 私は何もしていないのにどうして!」

「"禁忌の子"を代価とした力を、ベルナール・ギを殺す以上に使ったから。その代償に貴方の命を貰う」

 炎が完全にブランを包む。くぐもった悲鳴と肉のこげる匂いが室内に広がった。

「"地獄インフェルノ"に、落ちなさい」

 薄笑いを魔女は浮かべた。
 その魔女の後ろで真っ白だったはずのタペストリーの一部が赤と茶に染まっていた。







 魔女の家に繋がる黒い扉は、裏路地の片隅で今日も来客を待っている。

 そこで貴方が手にできるのは何か。

 それは貴方次第。

 "地獄インフェルノ"に落ちるかも、"煉獄プルガトリオ"に落ちるかも、地上で生きるかも。

 すべて貴方次第。

 今日も魔女は、黒猫とともに来客を待っている。




 The end.





 モドル



*あとがき

お送りしましたのは「dis. ―魔女の家。―」でした。
私にしては、ものすごく長くなりました。これでも結構削った方です(-_-;)
緋武河様。
中世風ファンタジーの香りはしますでしょうか?
一応、十六世紀初頭のヨーロッパを舞台に描かせていただきました(>ω<)/
世界史の世界は本当に難しいです。